【映画】美しき緑の星(LA BELLE VERTE)2~目覚めを促すという話は押し付け~作者の未練がスピリットとなって復活
1年前に、「お金の無い社会」に関する映画の記事として
美しき緑の星(LA BELLE VERTE)~人々に大きな目覚めを促すフランス映画?
を書いた(1弾)。


美しき緑の星が持てはやされている状況に強い疑念を発した内容で、1弾の拍手数は「地底に爬虫類人がいるドラえもんのアニメ映画」という衝撃的な記事の2倍もある熱烈な状態で、支持されていると解釈できる。
1弾はほんの前置きだったのに、もうこの映画の話はしたつもりでいた。最近、記事を読み直したら、ほとんど内容は語られておらず、「パリ娘達がお金の無い星についていった理由は、誘った青年男がイケメンでいい身体をしていたから」というジョークで終わっていた事に気付いた(爆) 筆者はお金を好きだが、お金の無い社会から来たスタイルのいい美女から「お金の無い社会に、一緒に行こうよ」と誘われたら、確実についていく。もちろん、お金が無い社会に期待してではなく、美女が今後もサポートしてくれるからだ。
次はジョークではなく、映画支持者へのアプローチとなるが、前記事では「お金の無い社会をつべこべ言っている人に、所属の宗教を聞いてみて。やっぱり、お金のある社会が好きになるカルトのはずだから」とも語った。この話に追加すると、宗教者ではなく魔法結社員かも知れない。しかし、その人は魔法は隠している。そんな隠し事をしている人の「お金の無い社会」という話は、やはり信じられない事には変わりあるまい。
信仰の自由というのはあるが、支配層に取って大衆がどの宗教から貢いでも問わないという意味の他に、政治家も含む活動家が、どの宗教に属していてもおかしくないという設定(防波堤)に過ぎない。陰謀論を追求しつつも、憲法を過大に評価する思考が各所に見受けられるが、憲法も支配ツールの1つに過ぎない。
20年も前の映画をなぜ、今になって話題にしようと躍起になっているのか? どこかの宗教や結社が宣伝指令を出したからだと、まず考えられる(掘り下げて有力な話は後に記す)。
映画・美しき緑の星には1つだけアドバンテージ(優位性)があり、欧州で宣伝を2日間できただけで、上映は禁止になったのだ。これは事実だとする。「話題性を上げるための演出」のように語る事はできるが期間が空き過ぎている。「支配層に取って都合が悪いから禁止された」という事も充分にあり得るのだ。ただ、筆者としては、「支配層に取って、そんなに都合悪いかなぁ?」としか思えない状況だ。支配層に取って都合はそんなに悪くなくても、燗に障る内容があってボツになったと考えられる。原因としては、ライバルの密告といった、その程度の話という事もあり得る。
お金の無い社会の映画として、当ブログではTIME/タイムを紹介した。お金が急に消えたとしても、現物資産や人材を所有している一族は、お金の代わりの何かで支配してくるだけなので、お金がなくなれば庶民勝利という事にはならない。理由としては、庶民はお金を奪われている以前に、魔法を奪われているので、魔力を取り戻さない限りは、お金の有無で庶民の立場が変わる事は露程にも無いというわけだ。「お金が無くなる事=支配層がいなくなる事」だと思っている人がいるが、支配層がいなくなる事に関わりがない事は、当筆者の説で分かる。
お金が無くなれば、チンピラや泥棒はいなくなるのだろうか? むしろ、その手の連中がお金を持っていれば実施しなかった悪行まで、大衆は食らわされる事になる。チンピラや泥棒の親玉である支配層は、より悪辣になるというわけだ。
次に、物事を思考する指針だが、
一見は対立する両方の勢力を配下に置く事で状況を支配する
という法則を常に念頭に置こう。麻薬とかを密売する勢力と、取り締まる勢力が同じという話は、陰謀論ではよくある。日本だと賭博が分かりやすい。政府は取り締まる勢力でありながらも、公営ギャンブルを実施する。
タイムと同じ監督・脚本(アンドリュー・ニコル)の映画に、ロードオブウォーがある。この映画では、「事実に基づき」と但し書きがあり、武器を密輸するフリーランスと、政府(堂々と武器を売りつつ、一方では取り締まる)が密着しているというオチだった。
アンドリュー・ニコルに関し、他には、トゥルーマンショー(空はスクリーンで月は幻)、シモーヌ(CGで俳優を演出できる)、ガタカ(タイタンに何かある)などの監督・脚本担当だ。ロードオブウォーは、当ブログで語る程の内容は少なめだが、陰謀論サイトでは真実として語られる事がある。
お金を発行する勢力と、「お金をなくした世界が素晴らしい」と語る勢力が、実は根っこでは同じという事を疑ってもらいたい。「お金の無い社会」を信じても、時間を奪われるだけなど馬鹿を見る可能性を忘れてはならない。
美しき緑の星だが、1物語としては面白い部分もあったが、目覚めとか真実という観点では、パワーが弱過ぎる。つまり、「この映画をみんなが理解できれば素晴らしい世界に……」といった、近年における紹介の謳い文句が却下されるわけだ。
美しき緑の星の住人は、人間と全く同じ姿をしている。その星の人間の姿が爬虫類的で、地球に来る時にシェイプシフト」という設定ならば、「更に真実が含まれている」という評価になり、一気に甘口の評価になる所だが。その手の地球の支配に直結する真実はほぼ見つからない。




牛乳を飲むシーンがあり、牛乳は毒だという社会問題すら含まれていない水準となる。
この映画を紹介しているブログの1つに関し、筆者は工作員(自覚はなくてもお金を貰って記事をアップする人)だと疑っている。また、アセンション詐欺を実施したサイトも映画を紹介しており、仮に映画そのものが推奨される内容であっても、それを利用して、インチキ自説へ引き摺り込む材料になっていると見ている。要するに、そのブロガーの宗教・結社の集会で宣伝を指示されたという事だ。
当ブログの支持者には、筆者のひらめきこそが根拠になり得るので語る。次の話こそが真相なのではあるまいか?
映画の制作者の誰かが、魔法結社で上位になったので、自分が過去に作ったにもかかわらずお蔵入りになった映画を、どうしても復活させたかった。
筆者もクリエーターなので気持ちが分かる。もし自分の作った作品が不本意にボツになった場合、別作品で大ヒットを出した後は、ボツ作品に日の目を見させてやりたいと思う事は充分にあり得る。
同じ事は車田正美という漫画家で起きた。代表作は聖闘士星矢で、知っている人は多いはず。


車田氏には男坂という僅か3巻で打ち切りになった熱血漫画があり、打ち切られ方が酷かった。3巻なら24話程度なので、うまく完結する漫画もある。しかし、男坂はあまりに衝撃的な打ち切りラストで、長年、笑いの対象とされていた。喧嘩の物語で、中ボスクラスをどんどん倒して仲間にしてゆく展開になった時に打ち切り決定。「僕の物語はこれからだ」のラストシーンで呆れさせる典型となった。詳しくは、「男坂 打ち切り」で検索すれば把握できる。「打ち切り」だけの検索でも、ラストシーンの画像が続々登場する域。ここに来て、そんな男坂に続きのストーリーが登場する事になった。その理由は、車田正美が業界(結社)の大物になったからだ。
ともあれ、どうして冒頭の広告に男坂を出したのか、分かってもらえれば万端だ。
ジョジョの荒木氏作バオー来訪者は、2巻で打ち切りだが、作者に未練がないので、続編がないというだけ。具体的なタイトルは語らないが、駄作ゲームと称された古いゲームソフトがあり、そのリメイクを無料ゲームとして配布して無料ゲーム界で大ヒットさせたという噂話がある。「20年以上の前のボツ・打ち切り・駄作認定が復活する理由」というテーマには、未練がキーワードなのだ。
当筆者が語ったこの話は、結構な根拠になり得ると考えている。念のために語るが、男坂は根拠ではなく、クリエーターの心理が根拠で男坂は結論だ。
あれれ~、また映画の内容を語らずに、記事が終わっちゃうぞ~。
だが、今回は「美しき緑の星は素晴らしい」に対して、なかなかの疑念を語ったつもりだ。反論をさせないよう、なんらかのバリアがあって、いまだ映画の内容そのものを却下する記事が書けないのかな?
誤解のないよう改めて語るが、物語そのものは、まあ及第。くだらない映画は無数にあるので、美しき緑の星を叩く理由は本来はない。しかし、持てはやされる程の内容でもないのに騒いでいるので、映画の内容相当に落ち着くよう、疑念を発する必要があるというわけだ。
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を書いた(1弾)。


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1弾はほんの前置きだったのに、もうこの映画の話はしたつもりでいた。最近、記事を読み直したら、ほとんど内容は語られておらず、「パリ娘達がお金の無い星についていった理由は、誘った青年男がイケメンでいい身体をしていたから」というジョークで終わっていた事に気付いた(爆) 筆者はお金を好きだが、お金の無い社会から来たスタイルのいい美女から「お金の無い社会に、一緒に行こうよ」と誘われたら、確実についていく。もちろん、お金が無い社会に期待してではなく、美女が今後もサポートしてくれるからだ。
次はジョークではなく、映画支持者へのアプローチとなるが、前記事では「お金の無い社会をつべこべ言っている人に、所属の宗教を聞いてみて。やっぱり、お金のある社会が好きになるカルトのはずだから」とも語った。この話に追加すると、宗教者ではなく魔法結社員かも知れない。しかし、その人は魔法は隠している。そんな隠し事をしている人の「お金の無い社会」という話は、やはり信じられない事には変わりあるまい。
信仰の自由というのはあるが、支配層に取って大衆がどの宗教から貢いでも問わないという意味の他に、政治家も含む活動家が、どの宗教に属していてもおかしくないという設定(防波堤)に過ぎない。陰謀論を追求しつつも、憲法を過大に評価する思考が各所に見受けられるが、憲法も支配ツールの1つに過ぎない。
20年も前の映画をなぜ、今になって話題にしようと躍起になっているのか? どこかの宗教や結社が宣伝指令を出したからだと、まず考えられる(掘り下げて有力な話は後に記す)。
映画・美しき緑の星には1つだけアドバンテージ(優位性)があり、欧州で宣伝を2日間できただけで、上映は禁止になったのだ。これは事実だとする。「話題性を上げるための演出」のように語る事はできるが期間が空き過ぎている。「支配層に取って都合が悪いから禁止された」という事も充分にあり得るのだ。ただ、筆者としては、「支配層に取って、そんなに都合悪いかなぁ?」としか思えない状況だ。支配層に取って都合はそんなに悪くなくても、燗に障る内容があってボツになったと考えられる。原因としては、ライバルの密告といった、その程度の話という事もあり得る。
お金の無い社会の映画として、当ブログではTIME/タイムを紹介した。お金が急に消えたとしても、現物資産や人材を所有している一族は、お金の代わりの何かで支配してくるだけなので、お金がなくなれば庶民勝利という事にはならない。理由としては、庶民はお金を奪われている以前に、魔法を奪われているので、魔力を取り戻さない限りは、お金の有無で庶民の立場が変わる事は露程にも無いというわけだ。「お金が無くなる事=支配層がいなくなる事」だと思っている人がいるが、支配層がいなくなる事に関わりがない事は、当筆者の説で分かる。
お金が無くなれば、チンピラや泥棒はいなくなるのだろうか? むしろ、その手の連中がお金を持っていれば実施しなかった悪行まで、大衆は食らわされる事になる。チンピラや泥棒の親玉である支配層は、より悪辣になるというわけだ。
次に、物事を思考する指針だが、
一見は対立する両方の勢力を配下に置く事で状況を支配する
という法則を常に念頭に置こう。麻薬とかを密売する勢力と、取り締まる勢力が同じという話は、陰謀論ではよくある。日本だと賭博が分かりやすい。政府は取り締まる勢力でありながらも、公営ギャンブルを実施する。
タイムと同じ監督・脚本(アンドリュー・ニコル)の映画に、ロードオブウォーがある。この映画では、「事実に基づき」と但し書きがあり、武器を密輸するフリーランスと、政府(堂々と武器を売りつつ、一方では取り締まる)が密着しているというオチだった。
お金を発行する勢力と、「お金をなくした世界が素晴らしい」と語る勢力が、実は根っこでは同じという事を疑ってもらいたい。「お金の無い社会」を信じても、時間を奪われるだけなど馬鹿を見る可能性を忘れてはならない。
美しき緑の星だが、1物語としては面白い部分もあったが、目覚めとか真実という観点では、パワーが弱過ぎる。つまり、「この映画をみんなが理解できれば素晴らしい世界に……」といった、近年における紹介の謳い文句が却下されるわけだ。
美しき緑の星の住人は、人間と全く同じ姿をしている。その星の人間の姿が爬虫類的で、地球に来る時にシェイプシフト」という設定ならば、「更に真実が含まれている」という評価になり、一気に甘口の評価になる所だが。その手の地球の支配に直結する真実はほぼ見つからない。
牛乳を飲むシーンがあり、牛乳は毒だという社会問題すら含まれていない水準となる。
この映画を紹介しているブログの1つに関し、筆者は工作員(自覚はなくてもお金を貰って記事をアップする人)だと疑っている。また、アセンション詐欺を実施したサイトも映画を紹介しており、仮に映画そのものが推奨される内容であっても、それを利用して、インチキ自説へ引き摺り込む材料になっていると見ている。要するに、そのブロガーの宗教・結社の集会で宣伝を指示されたという事だ。
当ブログの支持者には、筆者のひらめきこそが根拠になり得るので語る。次の話こそが真相なのではあるまいか?
映画の制作者の誰かが、魔法結社で上位になったので、自分が過去に作ったにもかかわらずお蔵入りになった映画を、どうしても復活させたかった。
筆者もクリエーターなので気持ちが分かる。もし自分の作った作品が不本意にボツになった場合、別作品で大ヒットを出した後は、ボツ作品に日の目を見させてやりたいと思う事は充分にあり得る。
同じ事は車田正美という漫画家で起きた。代表作は聖闘士星矢で、知っている人は多いはず。


車田氏には男坂という僅か3巻で打ち切りになった熱血漫画があり、打ち切られ方が酷かった。3巻なら24話程度なので、うまく完結する漫画もある。しかし、男坂はあまりに衝撃的な打ち切りラストで、長年、笑いの対象とされていた。喧嘩の物語で、中ボスクラスをどんどん倒して仲間にしてゆく展開になった時に打ち切り決定。「僕の物語はこれからだ」のラストシーンで呆れさせる典型となった。詳しくは、「男坂 打ち切り」で検索すれば把握できる。「打ち切り」だけの検索でも、ラストシーンの画像が続々登場する域。ここに来て、そんな男坂に続きのストーリーが登場する事になった。その理由は、車田正美が業界(結社)の大物になったからだ。
ともあれ、どうして冒頭の広告に男坂を出したのか、分かってもらえれば万端だ。
ジョジョの荒木氏作バオー来訪者は、2巻で打ち切りだが、作者に未練がないので、続編がないというだけ。具体的なタイトルは語らないが、駄作ゲームと称された古いゲームソフトがあり、そのリメイクを無料ゲームとして配布して無料ゲーム界で大ヒットさせたという噂話がある。「20年以上の前のボツ・打ち切り・駄作認定が復活する理由」というテーマには、未練がキーワードなのだ。
当筆者が語ったこの話は、結構な根拠になり得ると考えている。念のために語るが、男坂は根拠ではなく、クリエーターの心理が根拠で男坂は結論だ。
あれれ~、また映画の内容を語らずに、記事が終わっちゃうぞ~。
だが、今回は「美しき緑の星は素晴らしい」に対して、なかなかの疑念を語ったつもりだ。反論をさせないよう、なんらかのバリアがあって、いまだ映画の内容そのものを却下する記事が書けないのかな?
誤解のないよう改めて語るが、物語そのものは、まあ及第。くだらない映画は無数にあるので、美しき緑の星を叩く理由は本来はない。しかし、持てはやされる程の内容でもないのに騒いでいるので、映画の内容相当に落ち着くよう、疑念を発する必要があるというわけだ。
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