陰謀論を誤解して却下する心理~好き嫌いと正当性とを混同する事が原因
まず当ブログはオカルト真相論みたいなジャンルで、陰謀論そのものは支持している。ただし、オカルトを語らない陰謀論の中に、オカルトを知りつつ隠している人がいれば、偽りだと指摘する。また、ある情報源がオカルト真相論を謳いながらも、陰謀論の概念に欠けている場合には、誤誘導だと指摘する。もちろん、ベンジャミン・Fのように「大富豪は失脚し、我々がお金を配布する」なんてのはデタラメ扱いだ。陰謀論と陰謀論者とは別というわけだ。


陰謀論の定義だが、ウィキペディアでは
ある出来事について、広く人々に認められている事実や背景とは別に、何らかの陰謀や策謀があるとする意見を指す名称である。
とあり、一般の定義でさえ、別に嘘でも騙しでもない事が分かる。10字程度にすると、「物事に対する別の説明」というのが陰謀論の定義なのだ。
当ブログで陰謀論と語る場合には、
大富豪がほぼ全てを仕切っている
という定義となる。つまり、総理や大統領の陰謀なんてものは却下で、あくまでバックの大富豪に陰謀がある。言い換えると、「世の中の出来事には隠れた権力者の意志が関わる」になる。つまり、ある陰謀者の陰謀が暴かれても、他に陰謀者がいる以上は、陰謀論というものは存在し続ける。また、過去の陰謀は、もはや証明ができない場合もある。
陰謀論に対しては、悪いイメージを大衆に与える陰謀があり、多くの人は騙されないのだが、騙される人もいる。「陰謀論は嘘だ」と。しかし、実際に意見を聞くと、単に考え方が嫌いな事を疑念の根拠にしており、「主張者が全てを説明していなければならない」と思い込んでいる他人任せの思考という事が判明する。過激だと「全てが証明されていない限り語ってはならない。語っている人は全て嘘つき」のように主張する場合もある。
筆者は陰謀論を信じない人なんて今時いるのかなという疑問さえ持っている。陰謀論の定義が違っていたら、そりゃあり得る事になるわけだ。以前にも「社会問題~陰謀論~スピリチュアル~そして真相へ」という記事で語ったが、一般論 VS 陰謀論という概念があるのではなく、社会問題の先に陰謀論が、その先にオカルトがあるという包含の関係式なのだ。
陰謀論を嫌う人の中には、
陰謀論とは陰謀論者が周囲を騙すためのロジック
もし陰謀論が証明できたらそれはもう陰謀論ではなく事実
のように、陰謀論は全て騙し(虚偽)で、証明されたものは陰謀ではないので、陰謀論には含まれないと語る人もいる。事実を抜いて残った陰謀説は全て嘘みたいな思考だ。実際の発言者がどう思っているかではなく、一般的にこのような言葉を吐く思考を分析する。特定の誰かについて語るのではなく、該当の思考を持つ人をテーマにする。
まず、陰謀を企む人の陰謀が全て暴かれても、陰謀を実施した時点では陰謀なので、考え方としては陰謀論となる。つまり、「暴かれたり証明されれば陰謀から抜ける」という定義自体が間違っている。ベンジャミン・Fなどは陰謀論者と呼ぶのではなく、「デマだらけの走狗」とだけ語ればいい。当ブログでは陰謀論者とは呼ばず、そうしている。
事実として証明されていない事が陰謀論だとすれば、「選挙で選ばれた政治家が、国をを動かしている」という世界観も証明などされておらず陰謀論になってしまう。陰謀論とは、やはり「通念とは異なる説明」という意味が主体だ。
大富豪がその影響力によって何をしているのか、全て把握できていないのも事実だ
のような思考もあるが、別に全てを把握する必要は無い。幾つか語れば「大富豪が支配している」の証明になるからだ。「大富豪は無関係だった」という分野が見つかる事は、別に「大富豪が世の中を仕切っている」という陰謀論を壊滅させる反証ではないというのもある。
証明に必要なのは、主要な分野(銀行、政治、医療製薬、戦争、マスコミ、資源)の幾つかで間に合い、実際にある無数の分野(法律、食品、芸能、芸術、スポーツ、アミューズメント……)を語る必要はない。銀行、政府、マスコミが支配されている(支配のために作った)のに、今更、芸能界とかが、独立して活動できると考える事自体が、陰謀論では成立しない。そもそも陰謀論というのは、事実認定すら創作できる勢力があるという話だ。彼ら(陰謀論に疑念者)の思う事実自体が、なんの根拠も無いどころか偽りという話となる。
学問でも特に科学では、全ての理論が証明されている必要性に迫られる傾向にある。しかし、実態としては、「この原発は安全」「遺伝子組み換えはむしろ栄養」「食品添加物は大丈夫」「電磁波は無害」など、デタラメ。「健康被害は確認されていない」という主張の場合もあるが、むしろ因果関係(悪影響)は証明されていて、隠し、偽っている。
つまり、先に大衆を騙したいという想いが支配層にある場合、(雇われた学者などによる)1つ1つを事実で固めて証明するという行為には価値が無い事が判明する。筋道を立ても騙される場合がある以上、正直な気持ち、聴衆は最初から答えを知りたいのだ。いきなりでいいので「神様の正体は宇宙人」という事を教えて欲しいわけで、どうして宇宙人になるかの各説明に対する証明は、本人が見つける事になり、むしろ他人からの説明は要らないくらいだ。

陰謀論に疑念を持つ人のもう1つの認識の違いだが、証拠が揃っていない話を展開する事を頭が悪いと思っている所だ。そうではなく、仮に証拠が揃っていなくても、複数の物事を結びつけられる人は、頭がいいという評価となる。1つ1つ説明しないと分からない人は、頭が冴えないという評価なのだ。
事実の認定には、全ての要素に対して、事実で固める必要があると思っている人がいる。まず、固めるのは本人であって、他人ではない。また、感性が鋭いと、途中の説明無くして全体像を理解できる。パズルの組み立てセンスが良く、途中で真相が把握できるのだ。そういう人は通常は頭がいいと評価される。筋道立てて語らないといけない相手は、頭が冴えないと評価される。パズルの全てのピースが埋まるまでは認めないという我がままを、「俺は騙されないから賢い」と錯覚している場合はタチが悪い。証拠主義とは物事を繋げる能力の無い感性の鈍い大衆に最適となり、支配層のトリックに過ぎないのだ。
実はリアルで、そういう人と話した事があるのだが、その原因はカルト宗教だった。宗教をやって、そういう思想になったのではなく、宗教に騙されたのを知り、やめて、霊的世界とか神を完全に却下して物事を考えるようになったのだ。ある宗教が間違っている事と、その宗教の各教義が全て間違っている事とを混同しているのだ。他にも、幸福の科学(爬虫類的宇宙人による人類創造を肯定)をやめた元信者が、生物学者の進化論を勉強し出すという馬鹿げた状況もネットを探すとある。爬虫類的宇宙人の話は幸福の科学とは独立して成立するので、幸福の科学が間違いだとしても、爬虫類人の話まで間違いというわけではない。
一方、証明というのは、突き詰めてゆくと際限が無い。証明を求めるのもいいが、悪魔崇拝の儀式で、生け贄の残虐な有り様を事実だと証明する事は、色々な面で難しい。個人名を出さずに濁すしかないのだ。
その点、間違いだらけの情報の部類になるブログ「宇宙への旅立ち」は、「どこどこの教会で、赤ちゃんの骸骨がたくさん出た」とか、名指しで語っているので、以前は当ブログでも一目置いていた。去年には「シェルダン・ナイドルなど、デタラメなメッセージを賞賛しているので」却下とした。最近は見ていない。
陰謀論者の方針(とにかく結論を語る)が嫌いな事と、真実は何かという事を混同してはならない。優先事項は真実であって、真実かどうかの証明ではないのだ。そもそも、マスコミも政府も学者も信用できないとなると、証明として成立するかという根本的部分が大きく揺らいている。
サラリーマンは奴隷だという話があり、実際には筋道を立てなくても、サラリーマンが奴隷だと自覚できる。分からない人のために、ローマ帝国時代の奴隷の仕事などを解説したり、資本主義の解説をする事で分かる人もいる。しかし、最初から「サラリーマン奴隷説」を嫌いな人は、幾ら説明しても駄目という事が想像できよう。事実などの根拠が欲しいのではなく、単に嫌いだから認めたくないだけなのだ。宇宙人がいないと叫ぶ人も、宗教も含めて、結局は、いるのが嫌な人なのだ。
よく、漫画では数学嫌いなキャラクターがいる。「数学なんか無くなっちゃえーっ」と叫ぶ。好き嫌いの問題であって、数学の正当性とは無縁なのだ。
筆者が陰謀論者を却下する時でも、その論法(間の説明が抜けていないか)について叩く事はまず無い。あくまで嘘だと知りつつ発信したとか、矛盾があるとか、隠し事があるかどうか、宗教が原因ではないかで反応する。真実の可能性がある事(事実だとすると辻褄が合う事)に対し、「証明されていない事を根拠にしている」を理由に叩く事は無いのだ。
陰謀論で何かを主張する場合、主張者は分かる人だけに伝えたい傾向にある。その方針は聴衆にとって好き嫌いの話になる。特に否定者の場合、嫌いという感情が付きまとう。
何月何日(未来日付)に誰々が暗殺される、地震が起きるという話に根拠があろうが無かろうが、関係無い。実現するかどうかが重要で、「予告の時点で根拠が揃っているか」という事には価値が無いのだ。実は占い師に聞いたとか、実は自分の組織が起こしたという場合であっても、実現すれば事実だ。もちろん、「大富豪を失脚させ、我々がお金を配布します → もちろんされない」のようなデタラメは証拠以前の問題だ。
話を纏めると、陰謀論を嫌っている人は
・隔たった話を結びつける事を、頭が悪い事(欺瞞)だと思っている
・何かの主張には全てが事実で固められねばならないと思っている
実際には
・隔たった話を結びつける事は頭が冴えている
・事実認定の再定義が必要(学者の説すら却下)
・全てを白日の下にさらさない加減が大切(活動そのものを続けるため)
となる。真実の追究には、真実そのものに接する事も決め手だが、思考回路そのものが、支配層の設定したエリアから抜けている必要がある。
宇宙人がいないと証明できる根拠が無い事が分かりつつも、いる事にも根拠が必要だとし、いると語る人の論法に噛み付けいてくる人もいる。別にいないと言いたいわけではないが、根拠が欠けている事を指摘するわけだ。
しかし、当ブログとしては、特に根拠に欠けているとは思わず、現状で出せる状況証拠は、バッチリ用意したつもりだ。宇宙人ならばまだしも、大富豪の誰が悪魔崇拝で人食いとか、そんな事は色々な意味で証明できない。まあ、デーヴィッド・アイクの本には、誰が人食いかまで記されているのだが。名誉毀損などで訴えない所を考えると、事実だからこそだ。
世の中は、陰謀論が真実かという段階ではなく、大富豪のバックに宇宙人がいるのかという事がテーマとなっている。初歩的な部分で躓いている人に構っている場合ではない。ただし、1度だけは手を差し伸べる事もある。




この記事を読むまでは、陰謀論は疑わしいという考え方をしていてもいい。ただ、読んでも考え方を変えない人は、当ブログにはふさわしくないので、せめて黙っていてもらいたい。
バカな奴は単純なことを複雑に考える、賢い奴は複雑なことを単純に考える(京セラ創業者:稲盛和夫)
大富豪が世の中を仕切っているに決まっているのに、その証明が必要だと考え、証拠とか事実の積み上げを相手にまで要求する事は愚かというわけだ。
デーヴィッド・アイクは、陰謀論的な話の弱点を把握しており、証拠充当のために何冊も本を書いている。差し当たり、最新の本で、証拠を色々と揃えてもらいたい。それでも足りないと思うか、「同じ話をしつこく何度もするな」と思うかはあくまで読者の認識であって、真実かどうかの判定とは無関係だ。
なお、当ブログでは「陰謀論はオカルトを隠すトリック」だとも語っている。その意味としては、「超常現象を避けたり、陰謀だと語る主張は虚偽で的外れ」となる。
当ブログの読者の大半は、陰謀論(大富豪が支配)を却下する事はなく、本人には参考にならない記事かも知れない。しかし、「陰謀論を理解できない人と話す場合のコツ」くらいは掴んで貰えれば幸いだ。
やはり当ブログ読者としては、次のような話が面白いだろう。外部サイト(その時が来れば分かる事、留まらずに)より引用。
政治の話とかお金の仕組みとか、ネット上では様々なリーク情報が渦巻いていますけど、霊的な側面を蔑ろにしてはいつまでも経っても物事の本質に辿り着けませんよ。世界の権力構造がオカルトそのものなんだから。
一般的な学説の証明では、真実を証明する事に対し抵抗勢力が無い前提となっている。しかし、陰謀論やオカルトというのは、証明を実施する機関そのものが偽りで抵抗勢力だという話なので性質が異なる。違ったアプローチをせねばならない。
陰謀論が真実かどうかを、事実を積み上げて証明しつつある頃には、そういう探求者の人生は終わる。その先には陰謀論よりもハードルが高いオカルトがあるのだから、その人は絶対に真実には辿り着けないのだ。陰謀論はさっさと事実だと認めて、オカルトが事実かどうかを思考すべきといえる。まあ、現代人で早い人は20世紀にオカルトに到達しているが。証明されていないと先に進めない人は効率が悪い。指摘されずして効率というものを把握できるセンスも、好評価になるのだ。
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社会問題の情報は陰謀論を封じるためにある、陰謀論の情報はオカルトを封じるためにある


陰謀論の定義だが、ウィキペディアでは
ある出来事について、広く人々に認められている事実や背景とは別に、何らかの陰謀や策謀があるとする意見を指す名称である。
とあり、一般の定義でさえ、別に嘘でも騙しでもない事が分かる。10字程度にすると、「物事に対する別の説明」というのが陰謀論の定義なのだ。
当ブログで陰謀論と語る場合には、
大富豪がほぼ全てを仕切っている
という定義となる。つまり、総理や大統領の陰謀なんてものは却下で、あくまでバックの大富豪に陰謀がある。言い換えると、「世の中の出来事には隠れた権力者の意志が関わる」になる。つまり、ある陰謀者の陰謀が暴かれても、他に陰謀者がいる以上は、陰謀論というものは存在し続ける。また、過去の陰謀は、もはや証明ができない場合もある。
陰謀論に対しては、悪いイメージを大衆に与える陰謀があり、多くの人は騙されないのだが、騙される人もいる。「陰謀論は嘘だ」と。しかし、実際に意見を聞くと、単に考え方が嫌いな事を疑念の根拠にしており、「主張者が全てを説明していなければならない」と思い込んでいる他人任せの思考という事が判明する。過激だと「全てが証明されていない限り語ってはならない。語っている人は全て嘘つき」のように主張する場合もある。
筆者は陰謀論を信じない人なんて今時いるのかなという疑問さえ持っている。陰謀論の定義が違っていたら、そりゃあり得る事になるわけだ。以前にも「社会問題~陰謀論~スピリチュアル~そして真相へ」という記事で語ったが、一般論 VS 陰謀論という概念があるのではなく、社会問題の先に陰謀論が、その先にオカルトがあるという包含の関係式なのだ。
陰謀論を嫌う人の中には、
陰謀論とは陰謀論者が周囲を騙すためのロジック
もし陰謀論が証明できたらそれはもう陰謀論ではなく事実
のように、陰謀論は全て騙し(虚偽)で、証明されたものは陰謀ではないので、陰謀論には含まれないと語る人もいる。事実を抜いて残った陰謀説は全て嘘みたいな思考だ。実際の発言者がどう思っているかではなく、一般的にこのような言葉を吐く思考を分析する。特定の誰かについて語るのではなく、該当の思考を持つ人をテーマにする。
まず、陰謀を企む人の陰謀が全て暴かれても、陰謀を実施した時点では陰謀なので、考え方としては陰謀論となる。つまり、「暴かれたり証明されれば陰謀から抜ける」という定義自体が間違っている。ベンジャミン・Fなどは陰謀論者と呼ぶのではなく、「デマだらけの走狗」とだけ語ればいい。当ブログでは陰謀論者とは呼ばず、そうしている。
事実として証明されていない事が陰謀論だとすれば、「選挙で選ばれた政治家が、国をを動かしている」という世界観も証明などされておらず陰謀論になってしまう。陰謀論とは、やはり「通念とは異なる説明」という意味が主体だ。
大富豪がその影響力によって何をしているのか、全て把握できていないのも事実だ
のような思考もあるが、別に全てを把握する必要は無い。幾つか語れば「大富豪が支配している」の証明になるからだ。「大富豪は無関係だった」という分野が見つかる事は、別に「大富豪が世の中を仕切っている」という陰謀論を壊滅させる反証ではないというのもある。
証明に必要なのは、主要な分野(銀行、政治、医療製薬、戦争、マスコミ、資源)の幾つかで間に合い、実際にある無数の分野(法律、食品、芸能、芸術、スポーツ、アミューズメント……)を語る必要はない。銀行、政府、マスコミが支配されている(支配のために作った)のに、今更、芸能界とかが、独立して活動できると考える事自体が、陰謀論では成立しない。そもそも陰謀論というのは、事実認定すら創作できる勢力があるという話だ。彼ら(陰謀論に疑念者)の思う事実自体が、なんの根拠も無いどころか偽りという話となる。
学問でも特に科学では、全ての理論が証明されている必要性に迫られる傾向にある。しかし、実態としては、「この原発は安全」「遺伝子組み換えはむしろ栄養」「食品添加物は大丈夫」「電磁波は無害」など、デタラメ。「健康被害は確認されていない」という主張の場合もあるが、むしろ因果関係(悪影響)は証明されていて、隠し、偽っている。
つまり、先に大衆を騙したいという想いが支配層にある場合、(雇われた学者などによる)1つ1つを事実で固めて証明するという行為には価値が無い事が判明する。筋道を立ても騙される場合がある以上、正直な気持ち、聴衆は最初から答えを知りたいのだ。いきなりでいいので「神様の正体は宇宙人」という事を教えて欲しいわけで、どうして宇宙人になるかの各説明に対する証明は、本人が見つける事になり、むしろ他人からの説明は要らないくらいだ。

陰謀論に疑念を持つ人のもう1つの認識の違いだが、証拠が揃っていない話を展開する事を頭が悪いと思っている所だ。そうではなく、仮に証拠が揃っていなくても、複数の物事を結びつけられる人は、頭がいいという評価となる。1つ1つ説明しないと分からない人は、頭が冴えないという評価なのだ。
事実の認定には、全ての要素に対して、事実で固める必要があると思っている人がいる。まず、固めるのは本人であって、他人ではない。また、感性が鋭いと、途中の説明無くして全体像を理解できる。パズルの組み立てセンスが良く、途中で真相が把握できるのだ。そういう人は通常は頭がいいと評価される。筋道立てて語らないといけない相手は、頭が冴えないと評価される。パズルの全てのピースが埋まるまでは認めないという我がままを、「俺は騙されないから賢い」と錯覚している場合はタチが悪い。証拠主義とは物事を繋げる能力の無い感性の鈍い大衆に最適となり、支配層のトリックに過ぎないのだ。
実はリアルで、そういう人と話した事があるのだが、その原因はカルト宗教だった。宗教をやって、そういう思想になったのではなく、宗教に騙されたのを知り、やめて、霊的世界とか神を完全に却下して物事を考えるようになったのだ。ある宗教が間違っている事と、その宗教の各教義が全て間違っている事とを混同しているのだ。他にも、幸福の科学(爬虫類的宇宙人による人類創造を肯定)をやめた元信者が、生物学者の進化論を勉強し出すという馬鹿げた状況もネットを探すとある。爬虫類的宇宙人の話は幸福の科学とは独立して成立するので、幸福の科学が間違いだとしても、爬虫類人の話まで間違いというわけではない。
一方、証明というのは、突き詰めてゆくと際限が無い。証明を求めるのもいいが、悪魔崇拝の儀式で、生け贄の残虐な有り様を事実だと証明する事は、色々な面で難しい。個人名を出さずに濁すしかないのだ。
その点、間違いだらけの情報の部類になるブログ「宇宙への旅立ち」は、「どこどこの教会で、赤ちゃんの骸骨がたくさん出た」とか、名指しで語っているので、以前は当ブログでも一目置いていた。去年には「シェルダン・ナイドルなど、デタラメなメッセージを賞賛しているので」却下とした。最近は見ていない。
陰謀論者の方針(とにかく結論を語る)が嫌いな事と、真実は何かという事を混同してはならない。優先事項は真実であって、真実かどうかの証明ではないのだ。そもそも、マスコミも政府も学者も信用できないとなると、証明として成立するかという根本的部分が大きく揺らいている。
サラリーマンは奴隷だという話があり、実際には筋道を立てなくても、サラリーマンが奴隷だと自覚できる。分からない人のために、ローマ帝国時代の奴隷の仕事などを解説したり、資本主義の解説をする事で分かる人もいる。しかし、最初から「サラリーマン奴隷説」を嫌いな人は、幾ら説明しても駄目という事が想像できよう。事実などの根拠が欲しいのではなく、単に嫌いだから認めたくないだけなのだ。宇宙人がいないと叫ぶ人も、宗教も含めて、結局は、いるのが嫌な人なのだ。
よく、漫画では数学嫌いなキャラクターがいる。「数学なんか無くなっちゃえーっ」と叫ぶ。好き嫌いの問題であって、数学の正当性とは無縁なのだ。
筆者が陰謀論者を却下する時でも、その論法(間の説明が抜けていないか)について叩く事はまず無い。あくまで嘘だと知りつつ発信したとか、矛盾があるとか、隠し事があるかどうか、宗教が原因ではないかで反応する。真実の可能性がある事(事実だとすると辻褄が合う事)に対し、「証明されていない事を根拠にしている」を理由に叩く事は無いのだ。
陰謀論で何かを主張する場合、主張者は分かる人だけに伝えたい傾向にある。その方針は聴衆にとって好き嫌いの話になる。特に否定者の場合、嫌いという感情が付きまとう。
何月何日(未来日付)に誰々が暗殺される、地震が起きるという話に根拠があろうが無かろうが、関係無い。実現するかどうかが重要で、「予告の時点で根拠が揃っているか」という事には価値が無いのだ。実は占い師に聞いたとか、実は自分の組織が起こしたという場合であっても、実現すれば事実だ。もちろん、「大富豪を失脚させ、我々がお金を配布します → もちろんされない」のようなデタラメは証拠以前の問題だ。
話を纏めると、陰謀論を嫌っている人は
・隔たった話を結びつける事を、頭が悪い事(欺瞞)だと思っている
・何かの主張には全てが事実で固められねばならないと思っている
実際には
・隔たった話を結びつける事は頭が冴えている
・事実認定の再定義が必要(学者の説すら却下)
・全てを白日の下にさらさない加減が大切(活動そのものを続けるため)
となる。真実の追究には、真実そのものに接する事も決め手だが、思考回路そのものが、支配層の設定したエリアから抜けている必要がある。
宇宙人がいないと証明できる根拠が無い事が分かりつつも、いる事にも根拠が必要だとし、いると語る人の論法に噛み付けいてくる人もいる。別にいないと言いたいわけではないが、根拠が欠けている事を指摘するわけだ。
しかし、当ブログとしては、特に根拠に欠けているとは思わず、現状で出せる状況証拠は、バッチリ用意したつもりだ。宇宙人ならばまだしも、大富豪の誰が悪魔崇拝で人食いとか、そんな事は色々な意味で証明できない。まあ、デーヴィッド・アイクの本には、誰が人食いかまで記されているのだが。名誉毀損などで訴えない所を考えると、事実だからこそだ。
世の中は、陰謀論が真実かという段階ではなく、大富豪のバックに宇宙人がいるのかという事がテーマとなっている。初歩的な部分で躓いている人に構っている場合ではない。ただし、1度だけは手を差し伸べる事もある。
この記事を読むまでは、陰謀論は疑わしいという考え方をしていてもいい。ただ、読んでも考え方を変えない人は、当ブログにはふさわしくないので、せめて黙っていてもらいたい。
バカな奴は単純なことを複雑に考える、賢い奴は複雑なことを単純に考える(京セラ創業者:稲盛和夫)
大富豪が世の中を仕切っているに決まっているのに、その証明が必要だと考え、証拠とか事実の積み上げを相手にまで要求する事は愚かというわけだ。
デーヴィッド・アイクは、陰謀論的な話の弱点を把握しており、証拠充当のために何冊も本を書いている。差し当たり、最新の本で、証拠を色々と揃えてもらいたい。それでも足りないと思うか、「同じ話をしつこく何度もするな」と思うかはあくまで読者の認識であって、真実かどうかの判定とは無関係だ。
なお、当ブログでは「陰謀論はオカルトを隠すトリック」だとも語っている。その意味としては、「超常現象を避けたり、陰謀だと語る主張は虚偽で的外れ」となる。
当ブログの読者の大半は、陰謀論(大富豪が支配)を却下する事はなく、本人には参考にならない記事かも知れない。しかし、「陰謀論を理解できない人と話す場合のコツ」くらいは掴んで貰えれば幸いだ。
やはり当ブログ読者としては、次のような話が面白いだろう。外部サイト(その時が来れば分かる事、留まらずに)より引用。
政治の話とかお金の仕組みとか、ネット上では様々なリーク情報が渦巻いていますけど、霊的な側面を蔑ろにしてはいつまでも経っても物事の本質に辿り着けませんよ。世界の権力構造がオカルトそのものなんだから。
一般的な学説の証明では、真実を証明する事に対し抵抗勢力が無い前提となっている。しかし、陰謀論やオカルトというのは、証明を実施する機関そのものが偽りで抵抗勢力だという話なので性質が異なる。違ったアプローチをせねばならない。
陰謀論が真実かどうかを、事実を積み上げて証明しつつある頃には、そういう探求者の人生は終わる。その先には陰謀論よりもハードルが高いオカルトがあるのだから、その人は絶対に真実には辿り着けないのだ。陰謀論はさっさと事実だと認めて、オカルトが事実かどうかを思考すべきといえる。まあ、現代人で早い人は20世紀にオカルトに到達しているが。証明されていないと先に進めない人は効率が悪い。指摘されずして効率というものを把握できるセンスも、好評価になるのだ。
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