真実を隠す物語を作る事はできるのか~結論は無理
陰謀論好きな人だと、浅はかにも「映画はプロパガンダだ、大衆の思想を誘導している」みたいに語る人もいる。当ブログでは逆で、「映画など創作の物語にこそ真実を埋め込める」と語ってきた。当ブログ読者の中には「確かに真実は埋め込まれているが、真実を隠す側面もある」みたいに、一見、冷静な意見を発する人もいる。
本当にそうだろうか? 考察した所、「真実を隠したり、植え付けたい偽りの思想を組み込む目的で物語を創作する事は極めて難しい」という結論になった。

まず、世の中には不正選挙があると叫んでいる人がいる。ここで支配層が「不正選挙なんて絶対に無いんだという思想を埋め込む漫画」を作らせたいとしよう。さて、どんなストーリーならば読者が「不正選挙は絶対に無いんだ」と考える事ができるだろうか? 筆者はシナリオライターだが、それは無理という結論になった。ここで話題にするのは、選挙を実施している機関が発行した会報誌に載るような漫画の事ではなく、一般的な漫画を掲載する雑誌、つまり創作物としてそれが可能かという話だ。
筆者が政治に関係ある漫画で思い浮かんだのは「クニミツの政」だ。政の部分は「まつり」と呼ぶ。サイコメトラーEIJIというサスペンス漫画の作者で、サイコメトラーはドラマ化されているので知っている人もいるだろう。
選挙における裏工作なども含めて、漫画内では色々と語られている。ただし、入れられた票が操作されているという話までは存在しない。しかし、この作品は別に「票の操作という不正選挙は存在しない」みたいな、選挙の極めて汚い部分を隠すために作られている漫画ではない。もし、「不正選挙は無い」みたいな真実を隠す作品を作ろうとしても、結局、国民が選挙に参加したり、参加しない人の心理を描いたり、選挙運動のシーンが描かれるだけで、別に真実を隠す事には繋がらないのだ。隠そうとして作ったストーリーと、そんなつもりがなく作ったストーリーとが同じような表現になってしまうと言える。登場しない事と隠す事は別だし、結局は同じ物語展開になってしまうのだ。
当記事では、「同様な物語展開になる」という部分がポイントだ。プロパガンダを埋め込もうとした物語と、埋め込むつもりのない物語が、ほぼ同じような物語展開になる場合には、「プロパガンダを埋め込む事はできない」と解釈する。大統領をテーマとした物語を作るとして、何かを隠そうとする目的がある作品と、別に隠そうとしているわけではなく、(未調査や無知、誤解などを理由に)描いていないだけという作品のストーリー展開が異なる事は無いというのが筆者の主張だ。
追記だが、面白い意見があって、要するに数で勝負しているという話になる。例えば、不正選挙について薄めたい場合、選挙が普通に行われるシーンのあるドラマを10も20も、テーマは様々で、どのテレビ局でもやるのだ。もちろん、50ある色々なジャンルの映画でも普通に選挙が行われているのだ。このような場合に、プロパガンダは実施した事にできる。いわゆる、支配層のメイトリックス(マトリックス)は、単体では成立しないのだ。まあ、当記事の主題では、1本の作品で可能かという話なので、1つでは無理という論調は維持しておく。また、結局は元ある思想を強調したり維持させるに過ぎず、少しでも選挙を疑っていたら、その人には通用しない。ただ、それはあくまで、「普通に選挙が行われるシーンばかり」という事が前提だ。実際には物語に選挙を出したら、政治家の黒い過去、裏工作、お金の流れ、ヤクザの登場など、真実の出てくる物語の方が多い。そうでないと全く面白くないわけで、今度は視聴率や人気が取れない。
他の例としては、病院の物語で西洋医学の治療をしているシーンがあったとして、別に西洋医学を絶対的な物として扱うプロパガンダというわけではない。仮にそういう思想を埋め込む目的で作ったとしても、埋め込む目的の無い作品とストーリーがそう違うものではない。
余談だが、プレミア本の医療殺戮が再販された。医療の裏を知りたい人は是非。
もし、都合のいいプロパガンダを設定したければ、創作ではなく、学術書とか実用書の類いで接近せねばならないのだ。講演会のテーマやドキュメンタリーなど、事実を装った話として伝えねばならない。つまり、作り話で思想を偽りへ誘導する作品を設定する事は極めて難しいと言える。逆に真実へ誘導する作品は、それ程には難しくない。
こんな筆者も、以前は「映画インディペンデンスディはプロパガンダだ」と思った事がある。現代の地球に侵略的な宇宙船が現れるのだが、大統領と米軍が頑張って撃退するというストーリーだ。国家を礼賛していて、宇宙人を悪と決め付けていて、米軍の兵器で勝てるように思わされ、真実を偽る内容だと思ったわけだ。しかし、見方を変えれば、邪悪な宇宙人の存在を示し、宇宙船に宇宙人が乗っている事を示し、別に嘘で固められているわけでもない。実は映像内では宇宙人の姿は登場しない。だが、別に「宇宙人の姿を隠す陰謀」とか「国家のバックにこそ邪悪な宇宙人がいる事を隠す陰謀」というわけではない。「国家権力を礼賛し、宇宙人なんていもしない存在を描いた単なるストーリーだ」と思う人はあれど、そういう人は最初から「国家権力を好きでなく、宇宙人なんていない」と思っているからそういう発想になるわけで、別に映画によって宇宙人を否定しているわけではない。結局は元々持っている思想が強調されるだけだ。つまりは、「真実を隠す」という効果は薄いのだ。米軍の凄さをアピールしたければ、映画という形ではなく、戦争を仕掛けたり、公開演習などを見せればいいだけだ。
映画とかが面白くなかった場合に、心理的に「プロパガンダだ」と考える傾向にある。単にインディペンデンスディは筆者としては面白くなかった。ただそれだけなのに思想に揺さぶりを掛けられたと勘違いしたわけだ。
キリスト教のイエスの物語で、トンデラハウスの大冒険みたいなアニメがある。これは洗脳だろうか? もちろん、解釈としては、洗脳目的を見いだせる。「キリスト教を蔓延させてやろう」という目的がプロデューサークラスにはあろう。しかし、作品そのものに陰謀があるというより、母体となるキリスト教組織の性格が出ていると言える。なにか新しい創作をしたわけでなく、特定団体の聖書解釈をそのまま採用している方向だ。放映そのものは洗脳目的でも、物語そのものが洗脳というわけではないのだ。表現が難しいが、言いたい事を察して貰いたい。いわば、歴史物で歴史学の見解通りに物語を作っても、物語自体に歴史を強要する仕掛けがあるわけではない。ある程度は事実としてアプローチしているわけで、1からの創作とは異なる。偉人伝でも同様だ。聖書の物語の場合、洗脳目的の無い人が作品を作ったとしても、同様の物語展開になるというわけだ。
学校やスポーツの物語に「宇宙人や魔法が登場しないから偽りだ」なんて考える人はいないし、作者は別に真実を隠す目的で超常現象を排除したわけではない。隠す場合と語らない場合との区別ができない以上、創作物では真実を隠すという目的は成立しないのだ。「あの作者は隠したな」あるいは「知らないな」くらいは読者が察するかも知れないが、その判別が確かである保証はないし、述べられていない部分に関し、作品を目にするまでもなく知っている人の見解だ。つまり、思想の誘導とは無縁となる。
例えば、映画アイズワイドシャットの悪魔崇拝の儀式シーンで、「生け贄で人間が殺されていない。主催者が爬虫類人にシェイプシフトもしないし、異次元の存在が降臨する表現もない。よって、真実を隠している」なんて主張は成立しない。
「欧米の富豪や有力者が誰一人として怪しげな集会に参加していない」みたいな作品も作る事ができない。無難に有力者を登場させる作品との区別はつかないのだ。
次に、「食品添加物や遺伝子組み換えは安全だ」みたいなテーマで漫画を作ったとしよう。そんな作品がある事自体が、むしろ食品添加物や遺伝子組み換えを顕在意識に登場させる事になり、「安全じゃないから漫画を作ったんだろ」と思う人の方が多くなる。何も考えていない状態こそが支配層に取って都合良く、「食品添加物や遺伝子組み換え」という概念を登場させる時点でリスクがあるのだ。電磁波や原発も同様で、安全だと称する内容の埋め込まれた漫画や映画を作った所で、ほとんど誰も原発を安全だと思う事はない。この意味でも、大衆の思想を誘導するプロパガンダは成立しないのだ。なお、原発とかを紹介する映像との区別は付けてもらいたい。当記事の話は、あくまで作り話としてアプローチする物語の話をしている。
実はオカルト分野の漫画で「MMR マガジンミステリー調査班」というのがあるが、実際に調査したという名目で語られているので、ドキュメンタリーの部類とする。つまり「これは調査した事実です」というアプローチなので、今回語っている創作物とは異なる扱いとなる。
有名な映画作品バックトゥーザフューチャーやマトリックスに何か真実を隠す陰謀でもあるだろうか? 色々と真実が埋め込まれている事はあれど、大勢の大衆が見る割りにはプロパガンダらしきものは発見できない。通常は「単なる作り話」と思うだけで、真実も虚偽も、映画そのものでは誘導されないと言える。元々の思想が強まる事はあれど、嘘を信じさせる事は難しい。
自らを古代魔道師と名乗る男の作品があり、その名は「Vフォー・ヴェンデッタ」。作中の台詞では当ブログと全く同じ事を語っている。
芸術家は真実を伝えるために嘘をつく。政治家は虚偽を伝えるために嘘をつく。
芸術家は嘘で真実を伝える。
「芸術家は嘘で真実を伝える」を当ブログが翻訳する。「漫画家・小説家・シナリオライターは創作物(嘘)で真実を伝える」という意味だ。「これはフィクション(作り話)です」という説明が嘘というわけだ。「政治家は虚偽を伝えるために嘘をつく」の部分は、政治家のみならず、学者でも成立する。
創作物に対し、フィクションですとなっている事こそが作者による重大な嘘という事はあれど、虚偽を信じさせる事は難しいのだ(虚偽を信じている人をそのままにする事は可能)。そして、真実ならば、ある程度は信じさせる事ができる。映画などをプロパガンダだとする思考レベルは低い。つまり、真実を映画とかで発表してしまえば、凡庸な水準の人に対して真実を隠す効果はあると言えよう。しかし、映画などの物語に陰謀があるのではなく、「映画はプロパガンダに過ぎない」という物語の外にある誘導こそが陰謀だ。
物語というのは実は鏡のような存在だ。その人の知識や思想によって判定が変わる。つまり、そんな曖昧な対象に対し、ほぼ一律に誤った方向へ思想誘導をする事は極めて難しいというわけだ。
物語というのは読者・視聴者・プレイヤーの鏡なので、知識や認識度で評価は変わる。読者・視聴者・プレイヤーにほぼ一律「その場から飛び出て発展していく物語」なんてのを作る事はできない。しかし、ちゃんと現実と結びつけられる人もいる。物語で強制的に「これが真実です」とやると、自分の発表した作品にクレームが来る事で筆者は身に沁みて分かっているのだ。よって、作者はできるだけ「これは作り話ですけど、真実だと分かる人がいたらいいなー」といった仕掛けをするしかないのだ。もちろん、「これが真実だ」とやって、読者から「凄い!」と返る事もある。しかし、その割合は小さいので、あえて作り話に設定する意義があるのだ。
具体的な思想は無理だが、抽象的な感情を埋め込む事は可能だ。例えば、暴力シーンを増やして、暴力に抵抗を無くす効果だ。もちろん、一律に多数を捉えるというのは無理だ。また、暴力シーンが問題になるなど、不本意なクレームも発生する。
映画に陰謀があるとすれば、娯楽として大衆の時間を奪うマジックだ。これはゲーム・漫画アニメも原則はそういう事になる。しかし、特にオカルト・陰謀分野では肝心のストーリーのネタを思いつける程に凄い魔法使いがいるわけでもなく、魔法結社で習ったこの世の真実をストーリーに組み込む事が通常だ。シナリオライターというのは素材を組み立てる能力のある人の事で、たとえ魔導師でも素材そのものを作る事は稀だ。もちろん、オカルトを排除したテーマ(教師などの職業、恋愛物、推理、スポーツ……)の場合には、無難な素材で物語を構築するわけで、何か超越した新たな設定が飛び出るわけでもない。他には、映像や音声に催眠効果があるといった、もはやストーリーとか思想とは無関係な仕掛けが陰謀となる程度だ。
当記事の話は「真実を隠す事はできない」という意味ではない。学問はもちろん、社会問題や陰謀論の解説書では真実を隠す事はできる。しかし、物語ではまず無理で、非効率的なので実施する必要も無いという話だ。映画はプロパガンダだなんて話は、物語を書かないので、事情が掴めないが故の主張と言える。要するに、デマだ。そういうデマブログに限って、宇宙人はいないとか、ベンジャミン・Fを推奨していたりと馬鹿馬鹿しい。
というわけで、もし、「大統領などの政治家は信じられる」「選挙には確実な正当性がある」「原発や食品とかは安全」「富豪や有力者は怪しげな集会に参加していない」「魔法は無い」みたいな思想を植え付けられる創作物としてのシナリオを考えついた人は、筆者に教えてもらいたい。もちろん、そういう思想を植え付けるつもりの無い作品との明確な違いがある物語だ。そんなプロット(粗筋)を用意できた人は、師匠と呼ばせて貰う。逆(つまり真実)は簡単に物語へ埋め込める事は分かるだろう。シナリオライターは、そういう仕事をしているわけだ。
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まず、世の中には不正選挙があると叫んでいる人がいる。ここで支配層が「不正選挙なんて絶対に無いんだという思想を埋め込む漫画」を作らせたいとしよう。さて、どんなストーリーならば読者が「不正選挙は絶対に無いんだ」と考える事ができるだろうか? 筆者はシナリオライターだが、それは無理という結論になった。ここで話題にするのは、選挙を実施している機関が発行した会報誌に載るような漫画の事ではなく、一般的な漫画を掲載する雑誌、つまり創作物としてそれが可能かという話だ。
筆者が政治に関係ある漫画で思い浮かんだのは「クニミツの政」だ。政の部分は「まつり」と呼ぶ。サイコメトラーEIJIというサスペンス漫画の作者で、サイコメトラーはドラマ化されているので知っている人もいるだろう。
選挙における裏工作なども含めて、漫画内では色々と語られている。ただし、入れられた票が操作されているという話までは存在しない。しかし、この作品は別に「票の操作という不正選挙は存在しない」みたいな、選挙の極めて汚い部分を隠すために作られている漫画ではない。もし、「不正選挙は無い」みたいな真実を隠す作品を作ろうとしても、結局、国民が選挙に参加したり、参加しない人の心理を描いたり、選挙運動のシーンが描かれるだけで、別に真実を隠す事には繋がらないのだ。隠そうとして作ったストーリーと、そんなつもりがなく作ったストーリーとが同じような表現になってしまうと言える。登場しない事と隠す事は別だし、結局は同じ物語展開になってしまうのだ。
当記事では、「同様な物語展開になる」という部分がポイントだ。プロパガンダを埋め込もうとした物語と、埋め込むつもりのない物語が、ほぼ同じような物語展開になる場合には、「プロパガンダを埋め込む事はできない」と解釈する。大統領をテーマとした物語を作るとして、何かを隠そうとする目的がある作品と、別に隠そうとしているわけではなく、(未調査や無知、誤解などを理由に)描いていないだけという作品のストーリー展開が異なる事は無いというのが筆者の主張だ。
追記だが、面白い意見があって、要するに数で勝負しているという話になる。例えば、不正選挙について薄めたい場合、選挙が普通に行われるシーンのあるドラマを10も20も、テーマは様々で、どのテレビ局でもやるのだ。もちろん、50ある色々なジャンルの映画でも普通に選挙が行われているのだ。このような場合に、プロパガンダは実施した事にできる。いわゆる、支配層のメイトリックス(マトリックス)は、単体では成立しないのだ。まあ、当記事の主題では、1本の作品で可能かという話なので、1つでは無理という論調は維持しておく。また、結局は元ある思想を強調したり維持させるに過ぎず、少しでも選挙を疑っていたら、その人には通用しない。ただ、それはあくまで、「普通に選挙が行われるシーンばかり」という事が前提だ。実際には物語に選挙を出したら、政治家の黒い過去、裏工作、お金の流れ、ヤクザの登場など、真実の出てくる物語の方が多い。そうでないと全く面白くないわけで、今度は視聴率や人気が取れない。
他の例としては、病院の物語で西洋医学の治療をしているシーンがあったとして、別に西洋医学を絶対的な物として扱うプロパガンダというわけではない。仮にそういう思想を埋め込む目的で作ったとしても、埋め込む目的の無い作品とストーリーがそう違うものではない。
余談だが、プレミア本の医療殺戮が再販された。医療の裏を知りたい人は是非。
もし、都合のいいプロパガンダを設定したければ、創作ではなく、学術書とか実用書の類いで接近せねばならないのだ。講演会のテーマやドキュメンタリーなど、事実を装った話として伝えねばならない。つまり、作り話で思想を偽りへ誘導する作品を設定する事は極めて難しいと言える。逆に真実へ誘導する作品は、それ程には難しくない。
こんな筆者も、以前は「映画インディペンデンスディはプロパガンダだ」と思った事がある。現代の地球に侵略的な宇宙船が現れるのだが、大統領と米軍が頑張って撃退するというストーリーだ。国家を礼賛していて、宇宙人を悪と決め付けていて、米軍の兵器で勝てるように思わされ、真実を偽る内容だと思ったわけだ。しかし、見方を変えれば、邪悪な宇宙人の存在を示し、宇宙船に宇宙人が乗っている事を示し、別に嘘で固められているわけでもない。実は映像内では宇宙人の姿は登場しない。だが、別に「宇宙人の姿を隠す陰謀」とか「国家のバックにこそ邪悪な宇宙人がいる事を隠す陰謀」というわけではない。「国家権力を礼賛し、宇宙人なんていもしない存在を描いた単なるストーリーだ」と思う人はあれど、そういう人は最初から「国家権力を好きでなく、宇宙人なんていない」と思っているからそういう発想になるわけで、別に映画によって宇宙人を否定しているわけではない。結局は元々持っている思想が強調されるだけだ。つまりは、「真実を隠す」という効果は薄いのだ。米軍の凄さをアピールしたければ、映画という形ではなく、戦争を仕掛けたり、公開演習などを見せればいいだけだ。
映画とかが面白くなかった場合に、心理的に「プロパガンダだ」と考える傾向にある。単にインディペンデンスディは筆者としては面白くなかった。ただそれだけなのに思想に揺さぶりを掛けられたと勘違いしたわけだ。
キリスト教のイエスの物語で、トンデラハウスの大冒険みたいなアニメがある。これは洗脳だろうか? もちろん、解釈としては、洗脳目的を見いだせる。「キリスト教を蔓延させてやろう」という目的がプロデューサークラスにはあろう。しかし、作品そのものに陰謀があるというより、母体となるキリスト教組織の性格が出ていると言える。なにか新しい創作をしたわけでなく、特定団体の聖書解釈をそのまま採用している方向だ。放映そのものは洗脳目的でも、物語そのものが洗脳というわけではないのだ。表現が難しいが、言いたい事を察して貰いたい。いわば、歴史物で歴史学の見解通りに物語を作っても、物語自体に歴史を強要する仕掛けがあるわけではない。ある程度は事実としてアプローチしているわけで、1からの創作とは異なる。偉人伝でも同様だ。聖書の物語の場合、洗脳目的の無い人が作品を作ったとしても、同様の物語展開になるというわけだ。
学校やスポーツの物語に「宇宙人や魔法が登場しないから偽りだ」なんて考える人はいないし、作者は別に真実を隠す目的で超常現象を排除したわけではない。隠す場合と語らない場合との区別ができない以上、創作物では真実を隠すという目的は成立しないのだ。「あの作者は隠したな」あるいは「知らないな」くらいは読者が察するかも知れないが、その判別が確かである保証はないし、述べられていない部分に関し、作品を目にするまでもなく知っている人の見解だ。つまり、思想の誘導とは無縁となる。
例えば、映画アイズワイドシャットの悪魔崇拝の儀式シーンで、「生け贄で人間が殺されていない。主催者が爬虫類人にシェイプシフトもしないし、異次元の存在が降臨する表現もない。よって、真実を隠している」なんて主張は成立しない。
「欧米の富豪や有力者が誰一人として怪しげな集会に参加していない」みたいな作品も作る事ができない。無難に有力者を登場させる作品との区別はつかないのだ。
次に、「食品添加物や遺伝子組み換えは安全だ」みたいなテーマで漫画を作ったとしよう。そんな作品がある事自体が、むしろ食品添加物や遺伝子組み換えを顕在意識に登場させる事になり、「安全じゃないから漫画を作ったんだろ」と思う人の方が多くなる。何も考えていない状態こそが支配層に取って都合良く、「食品添加物や遺伝子組み換え」という概念を登場させる時点でリスクがあるのだ。電磁波や原発も同様で、安全だと称する内容の埋め込まれた漫画や映画を作った所で、ほとんど誰も原発を安全だと思う事はない。この意味でも、大衆の思想を誘導するプロパガンダは成立しないのだ。なお、原発とかを紹介する映像との区別は付けてもらいたい。当記事の話は、あくまで作り話としてアプローチする物語の話をしている。
実はオカルト分野の漫画で「MMR マガジンミステリー調査班」というのがあるが、実際に調査したという名目で語られているので、ドキュメンタリーの部類とする。つまり「これは調査した事実です」というアプローチなので、今回語っている創作物とは異なる扱いとなる。
有名な映画作品バックトゥーザフューチャーやマトリックスに何か真実を隠す陰謀でもあるだろうか? 色々と真実が埋め込まれている事はあれど、大勢の大衆が見る割りにはプロパガンダらしきものは発見できない。通常は「単なる作り話」と思うだけで、真実も虚偽も、映画そのものでは誘導されないと言える。元々の思想が強まる事はあれど、嘘を信じさせる事は難しい。
自らを古代魔道師と名乗る男の作品があり、その名は「Vフォー・ヴェンデッタ」。作中の台詞では当ブログと全く同じ事を語っている。
芸術家は真実を伝えるために嘘をつく。政治家は虚偽を伝えるために嘘をつく。
芸術家は嘘で真実を伝える。
「芸術家は嘘で真実を伝える」を当ブログが翻訳する。「漫画家・小説家・シナリオライターは創作物(嘘)で真実を伝える」という意味だ。「これはフィクション(作り話)です」という説明が嘘というわけだ。「政治家は虚偽を伝えるために嘘をつく」の部分は、政治家のみならず、学者でも成立する。
創作物に対し、フィクションですとなっている事こそが作者による重大な嘘という事はあれど、虚偽を信じさせる事は難しいのだ(虚偽を信じている人をそのままにする事は可能)。そして、真実ならば、ある程度は信じさせる事ができる。映画などをプロパガンダだとする思考レベルは低い。つまり、真実を映画とかで発表してしまえば、凡庸な水準の人に対して真実を隠す効果はあると言えよう。しかし、映画などの物語に陰謀があるのではなく、「映画はプロパガンダに過ぎない」という物語の外にある誘導こそが陰謀だ。
物語というのは実は鏡のような存在だ。その人の知識や思想によって判定が変わる。つまり、そんな曖昧な対象に対し、ほぼ一律に誤った方向へ思想誘導をする事は極めて難しいというわけだ。
物語というのは読者・視聴者・プレイヤーの鏡なので、知識や認識度で評価は変わる。読者・視聴者・プレイヤーにほぼ一律「その場から飛び出て発展していく物語」なんてのを作る事はできない。しかし、ちゃんと現実と結びつけられる人もいる。物語で強制的に「これが真実です」とやると、自分の発表した作品にクレームが来る事で筆者は身に沁みて分かっているのだ。よって、作者はできるだけ「これは作り話ですけど、真実だと分かる人がいたらいいなー」といった仕掛けをするしかないのだ。もちろん、「これが真実だ」とやって、読者から「凄い!」と返る事もある。しかし、その割合は小さいので、あえて作り話に設定する意義があるのだ。
具体的な思想は無理だが、抽象的な感情を埋め込む事は可能だ。例えば、暴力シーンを増やして、暴力に抵抗を無くす効果だ。もちろん、一律に多数を捉えるというのは無理だ。また、暴力シーンが問題になるなど、不本意なクレームも発生する。
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当記事の話は「真実を隠す事はできない」という意味ではない。学問はもちろん、社会問題や陰謀論の解説書では真実を隠す事はできる。しかし、物語ではまず無理で、非効率的なので実施する必要も無いという話だ。映画はプロパガンダだなんて話は、物語を書かないので、事情が掴めないが故の主張と言える。要するに、デマだ。そういうデマブログに限って、宇宙人はいないとか、ベンジャミン・Fを推奨していたりと馬鹿馬鹿しい。
というわけで、もし、「大統領などの政治家は信じられる」「選挙には確実な正当性がある」「原発や食品とかは安全」「富豪や有力者は怪しげな集会に参加していない」「魔法は無い」みたいな思想を植え付けられる創作物としてのシナリオを考えついた人は、筆者に教えてもらいたい。もちろん、そういう思想を植え付けるつもりの無い作品との明確な違いがある物語だ。そんなプロット(粗筋)を用意できた人は、師匠と呼ばせて貰う。逆(つまり真実)は簡単に物語へ埋め込める事は分かるだろう。シナリオライターは、そういう仕事をしているわけだ。
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