真実は聖書の権威を排除~デーヴィッド・アイクで洗脳が解ける
先日、シルバー・バーチ(メッセージを送る霊)に対し、「魔法結社の知識の一部を語っているので正確な事もあるけれど、隠蔽や矛盾、詭弁が目立ち、総論でも偽り」という判定になった。もうシルバー・バーチは話題にするつもりは無かったのだが、読者の中に以前はシルバーバーチの愛読者がおり、デーヴィッド・アイクや当ブログで洗脳が解けたと語ってくださった。
読者によるシルバーバーチ再評価は次となる。なお、シルバー・バーチに限らず、似たようなのはたくさんあるので、該当する要素があれば、評価に使ってもらいたい。
シルバーバーチは10年くらい愛読書でしたよ…。
デーヴィッドアイク本との出会いによりそれが覆り、魔龍さんブログによって定着したと思います。その節はありがとうございます。今から振り返った私自身が思うおかしな点を幾つか挙げたいと思います。
■秘密結社に触れていない
やはり筆頭はまずこれですね。大戦を契機に各地より発せられた暗黒波動によって次々と霊媒とのプラグが切断されたかのような言葉はありますが…善の勢力のトップクラスだと名乗る者が語る言葉としてはお粗末過ぎる気がします。それに対する反論もちゃんと用意されていて、幼児期を過ぎたらおもちゃは要らないとか、私はラベルには拘らないとか言うんですね。しかし現にある秘密結社とは…。基本的なところですが戦争によって儲ける銀行屋とは…。なかったことにしているとしか思えません。霊訓に載っていない参加者の質問も「ラベルには拘らない」という逃げ口上を巧妙に使用したのでしょう。
■儀式には意味がないという主張
意味がないと思うなら、儀式に拘る者達の視点から、その無意味極まる儀式の彼らなりの必要性について語って欲しかったですね。儀式よりも人間の念が上回る、という主張が常だったのでしょうが、そんなことはありませんよね。念を上回るのが魔術です。が、表の世界には出ないことなので隠せる種類のことではあります。
■霊の存在が問われた時代に、高級霊の登場は早すぎる
スピリチュアリズム勃興のきっかけといわれるハイズビル事件が1848年。霊媒モーリス・バーバネルを通じてシルバーバーチが語ったのが1920年。イルミナティ側としては万全を期したのかも知れませんが、今まとめて振り返れる私からみたら早計過ぎたと思います。霊が居るか居ないか、という論争を長引かせると自分たちの存在のしっぽをあらわにすることに繋がるのでしょうが。
■心配の念を捨てて困難に立ち向かって魂を磨け、という要の教え
いつか必ず報われる、という因果律信者の生成を大前提にして心配の念を生み出させる。受験し続けるようなもので安住の地はないはずです。ところがガチガチの因果律に洗脳されるとこれ以外の答えは無いと思ってしまう。
■交霊会参加者に感動の涙を流させる
実はこれも結構重要だと思います。降霊されたレプティリアンにもその程度のことは可能なのだという視点がありません。胸のあたりのチャクラを刺激すれば良いだけです。また、次から次へと言葉が澱みなく溢れてくることを奇跡のように捉えること自体が本当の現実を把握していません。やはりその程度のことは可能であり、高級霊であることとは無縁です。
それなのに何故私は洗脳されたのか?
私の直感、洞察力が甘かったからであり、知識が無かったからです。不公平に感じていたような自分の人生が報われる期待、因果律の概念を真に受けた影響が最も大きかったと思うのですが、洗脳モデルとして太古の昔より手法としてあったのでは、と今は思っています。産業革命期以後~ネット社会以前、にはピタリと時代に合致し多くの心配の念を吸えるのではないかと。無名庵EO氏の主張するような弱肉強食社会が延々と続くのであれば、かつてのような時代の必勝パターンのような気がしないでもないですね。
シルバーバーチはキリスト教に失望した人を「すくう」受け皿だと思います。イルミナティが用意したスピリチュアリズム運動最後の刺客です。キリスト教に失望しながら結局はまたマイナス波動を吸われてしまう要員、共通するのは自己愛の欠如ですがそんな人たちの澱みのような場です。組織化すると気づかれてしまうからそれも禁じるようなことを言いました。組織から離れ孤になって心配の念というマイナスを克服出来ずに死んでいく人を多数生み出したのではないでしょうか。分散させて本流を保つ、そのための勢力ではないでしょうか。
しかし、私たちの本質はアイクのいう根源意識(全は1、1は全)だったわけですね。それも本日ただいま今すぐに。どうりで原始仏教にも触れていないわけです。降霊会60年の歴史の中で質問者は居たのでしょうが、上記したような感じで巧妙に逃げたのだと思います。質問者の琴線に触れる話題を紡ぎ出す、ハートチャクラ刺激、などのパターンもあったのでしょう。利他、利他、とシルバーバーチは言いますが、自分が満たされる方法を教示する前に利他を勧めるのは今は搾取だと思います。
当ブログ開設期にお世話になったブログの管理人がシルバー・バーチを信じている事が発覚した。他にも飛鳥昭雄を信じていたり、アイクを疑っていたり、残念な気持ちになっている。工作ではなく、真面目に真実を探そうとしていると筆者は判断している。当ブログの情報さえあれば目覚めるのだろうが、そっとしておきたい。
デーヴィッド・アイクを否定する人って、出版本全体の7割くらいはアイク本を読んだのだろうか? 多分、1冊しか読んでいないか、ネットで噂を耳にした程度だろう。筆者が思うに、1冊では語り尽くされていないし、どれとは言わないが、ある1冊は現代の陰謀論の話が中心で、実は面白くなかった。もし、その本に当たってしまったら、特に感動は無いような気がする。ましてや、本を1冊も読まず、ネットで拾ったお粗末な批評でアイクを語ってはならない。先日はなわふみひとによる、お粗末な批評を潰した。極端な話、聖書から「人に優しくしましょう」という箇所を見つけて大喜びし、聖書全体を信じてしまった人による評価だ。「イエスの教えには切り込めないアイクの弱さ」なんて話もあるが、いもしない聖徳太子に対し「聖徳太子の教えには切り込めない弱さ」と言うのと同じだ。イエスや聖徳太子は架空の人物なのだから、内容以前の問題だ。元より眼中に無いのだ。
「素晴らしい事を語っていても、その主張者の全体が正しいという証拠にはならない」という話で偽りの判定は解決する。「素晴らしい事」程度は、どこかから引っ張ってくればいいのであって、主張全体とは無縁の事が通常だ。例えば、ベンジャミン・Fが「若返りの科学技術があるんだ、無料でフリーエネルギーが配布されるんだ」という話をしても、ベンの功績とは全く関係ない話で、もちろん、ベンが正直者という根拠にもならない。なお、ベンは嘘つきなので、フリーエネルギーは高額だったというオチだ。
「ベンジャミン・Fの説は、●●さんの説と真逆ですねぇ」なんて語る人もいるが、大衆が真実と逆説との両方を目にしてしまうと、割りと多くの人が思考停止になる。その心理トリックを担っているのがベンジャミン・Fというわけだ。ベンジャミン・Fは元より話題にする価値は無い。それにしても、「はげた無職のおっさんが趣味で翻訳している」なんて信じている人がいるのだろうか? それを信じる人がベンジャミン・Fを信じるといえる。次は筆者の勘に過ぎないのだが、もうベンジャミン・Fは活動していないのではなかろうか? 翻訳と称して挙がってくる内容は、ベンじゃない人が英文を書いているとうオチだ。要するに、名前だけベンジャミン・Fになっている完全デマ情報というわけだ。名前もベンジャナイ・フルデマーダヨにしてもらわないと困る。
ネットにおけるアイクの否定に関し、筆者が手強いと思ったのは「デーヴィッド・アイクはバランサーだ」という話だ。実はその文を書いた人は魔導師で、しかもかなり上の方だ。しかしながら、そういう場合には、魔法という真実を隠すためにアイクを叩く方向なので、別に本心で語っているわけではない。本心ではない主張ならば、たとえ筆者よりも相当に格上の魔導師の話でも崩す事が可能だ。
状況としては、「アイクの言っていた、この事が嘘だと判明した」という話は1つもない。むしろ、どんどん真実だと判明している。ベンジャミン・Fならば、過去の主張を洗い出せば、本当の事なんて1つも無かった事が分かるはずだ。ところで、ベンジャミン・Fを信じている振りをして、本当は信じておらず、誤誘導を企んでいると筆者が疑っているブログがある。と言うのは、管理人とネットで少し語った限りでは、知識が豊富で裏事情も把握できるような資質だった。霊的領域の存在も認めている。にもかかわらず、ベンジャミン・Fをブログの思想の基盤にするだなんて、工作員としか思えないのだ。肝心な質問では向こうは自分の意見を明確にせず、かわされた事もある。工作員はまずい質問には、はぐらかすというわけだ。
先日のアイクのへの疑念を潰す話に対し、補足をしたい。
なわは「アイクはアメリカや中南米の原住民を虐殺したのがスペインからやって来たコロンブスを始めとするユ●ヤ人を中心とした人物であったことに全く触れていません。」のように語る。アイクの本では、虐殺するような人達が爬虫類人だという方向なのに、どうしてユ●ヤ人擁護にすり替わっているのだろう? ちなみに、中南米の原住民も、リーダー格は爬虫類人なので、部族同士の争いはある。丁度、日本の戦国時代に武将が争ったように。よって、部族のリーダーが叩きのめされるような事が起きない限り、バランスは取れない。織田信長なんかは、異形の者の性格丸出しと言える。
次の話は筆者の意見ではなく、現象や事実を述べる。先日、アイクの本を広告で紹介したが、実は当ブログ経由では数人しか買っていない。読者の全員がアイクの本を既に持っているなんて事はあり得ないし、アマゾン以外の古本屋で購入する事も可能なので計上されるとは限らない。しかし、数人では「紹介しても大半の人は買わない」という事を意味する。当ブログの読者(アイクに期待を持つ人が主流)ですらアイク本を読まない人が多数派なのだから、ましてや否定しようとする人がお金と時間を使うはずもないといえる。
デーヴィッド・アイク本を読めば、しょーもない宇宙人からのメッセージには簡単に騙されなくなるので、ぜひ読んでもらいたい。まあ、当ブログを(特に爬虫類人の存在に関して)信じ、しかも宇宙人のメッセージにも騙されていないならば、古い本までは読まなくてもいいけどね。
実はこれらの本が魔道書の一種である事に、筆者ですら気付いていなかった。記事を書いてから顕在化したので語れるというわけだ。読者の多くが、そして翻訳者の太田龍氏も気付いていないだろう。そもそも、魔法がなんたるかを把握していないと、その内容が魔道かどうか認識できないのだ。
過去の恥なのであまり語りたくないが、20世紀の頃(インターネットも導入していない頃)は、筆者はビリー・マイヤーの本(プレアデス星人と会ったと語る情報)に騙されていた。「こんな凄い事実を語るなんて、宇宙人に間違いない」という心境になった。1997年に宇宙人が来訪するという期待を抱き、裏切られた。そしてくだらないサラリーマン人生を送る羽目になる。「あんな凄い事を知ったはずなのに、結局二流企業の下っ端?」という感じで荒んできた。しかし、当ブログの情報のように「魔法結社は人類に隠されている真実を代々受け継いでいる」という知識さえあれば、騙される可能性が著しく小さくなるというわけだ。
「1997年に宇宙人来訪」という話をしたわけだが、今でも全く変わってないよね? 「2014年4月25日に宇宙人来訪」という嘘が最近あったばかりだ。その嘘の元はサナンダとサンジェルマン! サナンダはイエスの昇天した霊だとほざく。イエスの名を騙る奴に限って、酷い大嘘つきというわけだ。そもそもイエスが存在しない事を知らない者達に向けた嘘だからだ。2008年にはマシューが宇宙人来訪を騙っている。その時に既にメッセージを読んでいた人が、何故、今でも信じているのか理解不能だ。いや、それこそが魔術なんだけどね。
ビリー・マイヤーとは直接関係ないのだが、翻訳者の大高良哉(ペンネームで複数人)がバシャールを見たとか、そんな話をしていた。当ブログでは、バシャールは結局マヤカシという結論になっている。
ビリー・マイヤーの本を読んでいた時は名古屋に住んでいたのだが、自転車で道を進んでいたら、耳の尖った若い女性とすれ違い、「あの人は宇宙人?!」と思った事がある。あんな不思議な人は、筆者の人生では1度限りだ。もう一度見ようと探したけれど、既に視界からは消えていた。人通りは少ない道だった。
ビリー・マイヤーの説では、「聖書は書き換えられており、聖書の元になった原聖書が本物なんだ。イエスは宇宙人なんだ」みたいな話だった。聖書を疑っている人を納得させつつも、聖書に権威を持たせている。結局は地球の支配の仕組みやレプティリアンの事は伏せている。情報が制御されている魔法結社員の商売だったというわけだ。宇宙人コンタクティには、他にもアダムスキーなんてのがあるが、筆者の今の知識ならば斬って捨てるだけといえる。霊力に応じた情報が相手の前に現れるといえ、水準が低いと2014年時点では、差し詰めベンジャミン・F、コブラ解放、カレン・ヒューズ、ケッシュ財団、とっくに嘘をついているチャネリングなどを掴む事になる。日本人なのに、なぜか聖書を重視したりと、馬鹿げた事にもなる。
真実ならば、聖書を話題に出す必要はほとんど無い。あるとすれば、魔法結社こそが聖書に埋め込まれたカバラの言葉などを引用する事を説明する時くらいだ。
聖書に権威を見いだしていたら、偽りだと疑うべきという話だ。前回はイエスの名を語ったら偽りという話だったので、加えて判定基準にしてもらいたい。
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なわふみひとによるデーヴィッド・アイクへの疑念を崩す……聖書信者なので曲解が多過ぎる
読者によるシルバーバーチ再評価は次となる。なお、シルバー・バーチに限らず、似たようなのはたくさんあるので、該当する要素があれば、評価に使ってもらいたい。
シルバーバーチは10年くらい愛読書でしたよ…。
デーヴィッドアイク本との出会いによりそれが覆り、魔龍さんブログによって定着したと思います。その節はありがとうございます。今から振り返った私自身が思うおかしな点を幾つか挙げたいと思います。
■秘密結社に触れていない
やはり筆頭はまずこれですね。大戦を契機に各地より発せられた暗黒波動によって次々と霊媒とのプラグが切断されたかのような言葉はありますが…善の勢力のトップクラスだと名乗る者が語る言葉としてはお粗末過ぎる気がします。それに対する反論もちゃんと用意されていて、幼児期を過ぎたらおもちゃは要らないとか、私はラベルには拘らないとか言うんですね。しかし現にある秘密結社とは…。基本的なところですが戦争によって儲ける銀行屋とは…。なかったことにしているとしか思えません。霊訓に載っていない参加者の質問も「ラベルには拘らない」という逃げ口上を巧妙に使用したのでしょう。
■儀式には意味がないという主張
意味がないと思うなら、儀式に拘る者達の視点から、その無意味極まる儀式の彼らなりの必要性について語って欲しかったですね。儀式よりも人間の念が上回る、という主張が常だったのでしょうが、そんなことはありませんよね。念を上回るのが魔術です。が、表の世界には出ないことなので隠せる種類のことではあります。
■霊の存在が問われた時代に、高級霊の登場は早すぎる
スピリチュアリズム勃興のきっかけといわれるハイズビル事件が1848年。霊媒モーリス・バーバネルを通じてシルバーバーチが語ったのが1920年。イルミナティ側としては万全を期したのかも知れませんが、今まとめて振り返れる私からみたら早計過ぎたと思います。霊が居るか居ないか、という論争を長引かせると自分たちの存在のしっぽをあらわにすることに繋がるのでしょうが。
■心配の念を捨てて困難に立ち向かって魂を磨け、という要の教え
いつか必ず報われる、という因果律信者の生成を大前提にして心配の念を生み出させる。受験し続けるようなもので安住の地はないはずです。ところがガチガチの因果律に洗脳されるとこれ以外の答えは無いと思ってしまう。
■交霊会参加者に感動の涙を流させる
実はこれも結構重要だと思います。降霊されたレプティリアンにもその程度のことは可能なのだという視点がありません。胸のあたりのチャクラを刺激すれば良いだけです。また、次から次へと言葉が澱みなく溢れてくることを奇跡のように捉えること自体が本当の現実を把握していません。やはりその程度のことは可能であり、高級霊であることとは無縁です。
それなのに何故私は洗脳されたのか?
私の直感、洞察力が甘かったからであり、知識が無かったからです。不公平に感じていたような自分の人生が報われる期待、因果律の概念を真に受けた影響が最も大きかったと思うのですが、洗脳モデルとして太古の昔より手法としてあったのでは、と今は思っています。産業革命期以後~ネット社会以前、にはピタリと時代に合致し多くの心配の念を吸えるのではないかと。無名庵EO氏の主張するような弱肉強食社会が延々と続くのであれば、かつてのような時代の必勝パターンのような気がしないでもないですね。
シルバーバーチはキリスト教に失望した人を「すくう」受け皿だと思います。イルミナティが用意したスピリチュアリズム運動最後の刺客です。キリスト教に失望しながら結局はまたマイナス波動を吸われてしまう要員、共通するのは自己愛の欠如ですがそんな人たちの澱みのような場です。組織化すると気づかれてしまうからそれも禁じるようなことを言いました。組織から離れ孤になって心配の念というマイナスを克服出来ずに死んでいく人を多数生み出したのではないでしょうか。分散させて本流を保つ、そのための勢力ではないでしょうか。
しかし、私たちの本質はアイクのいう根源意識(全は1、1は全)だったわけですね。それも本日ただいま今すぐに。どうりで原始仏教にも触れていないわけです。降霊会60年の歴史の中で質問者は居たのでしょうが、上記したような感じで巧妙に逃げたのだと思います。質問者の琴線に触れる話題を紡ぎ出す、ハートチャクラ刺激、などのパターンもあったのでしょう。利他、利他、とシルバーバーチは言いますが、自分が満たされる方法を教示する前に利他を勧めるのは今は搾取だと思います。
当ブログ開設期にお世話になったブログの管理人がシルバー・バーチを信じている事が発覚した。他にも飛鳥昭雄を信じていたり、アイクを疑っていたり、残念な気持ちになっている。工作ではなく、真面目に真実を探そうとしていると筆者は判断している。当ブログの情報さえあれば目覚めるのだろうが、そっとしておきたい。
デーヴィッド・アイクを否定する人って、出版本全体の7割くらいはアイク本を読んだのだろうか? 多分、1冊しか読んでいないか、ネットで噂を耳にした程度だろう。筆者が思うに、1冊では語り尽くされていないし、どれとは言わないが、ある1冊は現代の陰謀論の話が中心で、実は面白くなかった。もし、その本に当たってしまったら、特に感動は無いような気がする。ましてや、本を1冊も読まず、ネットで拾ったお粗末な批評でアイクを語ってはならない。先日はなわふみひとによる、お粗末な批評を潰した。極端な話、聖書から「人に優しくしましょう」という箇所を見つけて大喜びし、聖書全体を信じてしまった人による評価だ。「イエスの教えには切り込めないアイクの弱さ」なんて話もあるが、いもしない聖徳太子に対し「聖徳太子の教えには切り込めない弱さ」と言うのと同じだ。イエスや聖徳太子は架空の人物なのだから、内容以前の問題だ。元より眼中に無いのだ。
「素晴らしい事を語っていても、その主張者の全体が正しいという証拠にはならない」という話で偽りの判定は解決する。「素晴らしい事」程度は、どこかから引っ張ってくればいいのであって、主張全体とは無縁の事が通常だ。例えば、ベンジャミン・Fが「若返りの科学技術があるんだ、無料でフリーエネルギーが配布されるんだ」という話をしても、ベンの功績とは全く関係ない話で、もちろん、ベンが正直者という根拠にもならない。なお、ベンは嘘つきなので、フリーエネルギーは高額だったというオチだ。
「ベンジャミン・Fの説は、●●さんの説と真逆ですねぇ」なんて語る人もいるが、大衆が真実と逆説との両方を目にしてしまうと、割りと多くの人が思考停止になる。その心理トリックを担っているのがベンジャミン・Fというわけだ。ベンジャミン・Fは元より話題にする価値は無い。それにしても、「はげた無職のおっさんが趣味で翻訳している」なんて信じている人がいるのだろうか? それを信じる人がベンジャミン・Fを信じるといえる。次は筆者の勘に過ぎないのだが、もうベンジャミン・Fは活動していないのではなかろうか? 翻訳と称して挙がってくる内容は、ベンじゃない人が英文を書いているとうオチだ。要するに、名前だけベンジャミン・Fになっている完全デマ情報というわけだ。名前もベンジャナイ・フルデマーダヨにしてもらわないと困る。
ネットにおけるアイクの否定に関し、筆者が手強いと思ったのは「デーヴィッド・アイクはバランサーだ」という話だ。実はその文を書いた人は魔導師で、しかもかなり上の方だ。しかしながら、そういう場合には、魔法という真実を隠すためにアイクを叩く方向なので、別に本心で語っているわけではない。本心ではない主張ならば、たとえ筆者よりも相当に格上の魔導師の話でも崩す事が可能だ。
状況としては、「アイクの言っていた、この事が嘘だと判明した」という話は1つもない。むしろ、どんどん真実だと判明している。ベンジャミン・Fならば、過去の主張を洗い出せば、本当の事なんて1つも無かった事が分かるはずだ。ところで、ベンジャミン・Fを信じている振りをして、本当は信じておらず、誤誘導を企んでいると筆者が疑っているブログがある。と言うのは、管理人とネットで少し語った限りでは、知識が豊富で裏事情も把握できるような資質だった。霊的領域の存在も認めている。にもかかわらず、ベンジャミン・Fをブログの思想の基盤にするだなんて、工作員としか思えないのだ。肝心な質問では向こうは自分の意見を明確にせず、かわされた事もある。工作員はまずい質問には、はぐらかすというわけだ。
先日のアイクのへの疑念を潰す話に対し、補足をしたい。
なわは「アイクはアメリカや中南米の原住民を虐殺したのがスペインからやって来たコロンブスを始めとするユ●ヤ人を中心とした人物であったことに全く触れていません。」のように語る。アイクの本では、虐殺するような人達が爬虫類人だという方向なのに、どうしてユ●ヤ人擁護にすり替わっているのだろう? ちなみに、中南米の原住民も、リーダー格は爬虫類人なので、部族同士の争いはある。丁度、日本の戦国時代に武将が争ったように。よって、部族のリーダーが叩きのめされるような事が起きない限り、バランスは取れない。織田信長なんかは、異形の者の性格丸出しと言える。
次の話は筆者の意見ではなく、現象や事実を述べる。先日、アイクの本を広告で紹介したが、実は当ブログ経由では数人しか買っていない。読者の全員がアイクの本を既に持っているなんて事はあり得ないし、アマゾン以外の古本屋で購入する事も可能なので計上されるとは限らない。しかし、数人では「紹介しても大半の人は買わない」という事を意味する。当ブログの読者(アイクに期待を持つ人が主流)ですらアイク本を読まない人が多数派なのだから、ましてや否定しようとする人がお金と時間を使うはずもないといえる。
デーヴィッド・アイク本を読めば、しょーもない宇宙人からのメッセージには簡単に騙されなくなるので、ぜひ読んでもらいたい。まあ、当ブログを(特に爬虫類人の存在に関して)信じ、しかも宇宙人のメッセージにも騙されていないならば、古い本までは読まなくてもいいけどね。
実はこれらの本が魔道書の一種である事に、筆者ですら気付いていなかった。記事を書いてから顕在化したので語れるというわけだ。読者の多くが、そして翻訳者の太田龍氏も気付いていないだろう。そもそも、魔法がなんたるかを把握していないと、その内容が魔道かどうか認識できないのだ。
過去の恥なのであまり語りたくないが、20世紀の頃(インターネットも導入していない頃)は、筆者はビリー・マイヤーの本(プレアデス星人と会ったと語る情報)に騙されていた。「こんな凄い事実を語るなんて、宇宙人に間違いない」という心境になった。1997年に宇宙人が来訪するという期待を抱き、裏切られた。そしてくだらないサラリーマン人生を送る羽目になる。「あんな凄い事を知ったはずなのに、結局二流企業の下っ端?」という感じで荒んできた。しかし、当ブログの情報のように「魔法結社は人類に隠されている真実を代々受け継いでいる」という知識さえあれば、騙される可能性が著しく小さくなるというわけだ。
「1997年に宇宙人来訪」という話をしたわけだが、今でも全く変わってないよね? 「2014年4月25日に宇宙人来訪」という嘘が最近あったばかりだ。その嘘の元はサナンダとサンジェルマン! サナンダはイエスの昇天した霊だとほざく。イエスの名を騙る奴に限って、酷い大嘘つきというわけだ。そもそもイエスが存在しない事を知らない者達に向けた嘘だからだ。2008年にはマシューが宇宙人来訪を騙っている。その時に既にメッセージを読んでいた人が、何故、今でも信じているのか理解不能だ。いや、それこそが魔術なんだけどね。
ビリー・マイヤーとは直接関係ないのだが、翻訳者の大高良哉(ペンネームで複数人)がバシャールを見たとか、そんな話をしていた。当ブログでは、バシャールは結局マヤカシという結論になっている。
ビリー・マイヤーの本を読んでいた時は名古屋に住んでいたのだが、自転車で道を進んでいたら、耳の尖った若い女性とすれ違い、「あの人は宇宙人?!」と思った事がある。あんな不思議な人は、筆者の人生では1度限りだ。もう一度見ようと探したけれど、既に視界からは消えていた。人通りは少ない道だった。
ビリー・マイヤーの説では、「聖書は書き換えられており、聖書の元になった原聖書が本物なんだ。イエスは宇宙人なんだ」みたいな話だった。聖書を疑っている人を納得させつつも、聖書に権威を持たせている。結局は地球の支配の仕組みやレプティリアンの事は伏せている。情報が制御されている魔法結社員の商売だったというわけだ。宇宙人コンタクティには、他にもアダムスキーなんてのがあるが、筆者の今の知識ならば斬って捨てるだけといえる。霊力に応じた情報が相手の前に現れるといえ、水準が低いと2014年時点では、差し詰めベンジャミン・F、コブラ解放、カレン・ヒューズ、ケッシュ財団、とっくに嘘をついているチャネリングなどを掴む事になる。日本人なのに、なぜか聖書を重視したりと、馬鹿げた事にもなる。
真実ならば、聖書を話題に出す必要はほとんど無い。あるとすれば、魔法結社こそが聖書に埋め込まれたカバラの言葉などを引用する事を説明する時くらいだ。
聖書に権威を見いだしていたら、偽りだと疑うべきという話だ。前回はイエスの名を語ったら偽りという話だったので、加えて判定基準にしてもらいたい。
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