才能の開花と才能の枯渇~守護霊(ガーディアン)とペルソナ
当ブログのタイトルの由来にもなっている魔法入門という本を読むと、ペルソナ(仮面)という用語が出てくる。
魔法入門は多くの魔導師が最初の内に読む事になる本。初期でなくても、必ず認識できるような本だ。もし、この本を読まないとすれば、多分魔導師にはなれない。他の魔道書を手にしても、多くの場合に必読図書として指定される。ちなみに、2冊の本は同じ内容だが、訳が異なる。読むのは一方で良いし、読んだら次の人に渡るよう売りに出しても良い。魔導師の数を最小限に留めるために、絶盤となっているのだ。
様々なペルソナを出現させる事で、自分の本来持っている能力にプラスしたりできる。人間の能力を項目化するとして、体力、理力、自信、知性、創造性、根気、洞察力、感情(の出現度合い)がペルソナによって変動するわけだ。主体として宿るスピリット(守護霊・ガーディアン)もペルソナによって変わってくる。
筆者の場合、あるペルソナではブログで巫女のように語れるが、シナリオライターとしては全く役に立たず、何日も仕事が手に付かない。一方で、巫女のペルソナを弱めると、創造性豊かなペルソナが出現してシナリオを描けるが、ブログではアホっぽくなったり、感情的になるのような具合だ。正直、巫女のペルソナは世間の常識と照らし合わせれば合理的ではない。ブログなんて書いてるとシナリオの収入が入りにくくなるのだ(爆) シナリオの仕事では、ブログ数記事と同じ時間で書けば数万円とかになるのに、ブログでは1ヶ月(記事を20~25くらい)で広告収入5000円とかそんな話なんで^^; もちろん、巫女の場合には、異次元の領域に「徳」という魂の貯金がたくさん入るんだけどね。
ゲーマーならば女神異聞録ペルソナというゲームを知っているだろう。降臨させるペルソナによって、攻撃力や魔力などが変化し、必殺技も変わる。合わないペルソナは、最初から付ける事ができなかったり、付けても全く役に立たない。
ゲームのプレイは若者でないと無理なので、コミックで読んだ方が良いだろう。
ゲームで同じようなシステムとして、ファイルファンタジー8のジャンクション・システムが存在する。ジャンクションした召喚獣により成長が異なってくる。ジャンクションとは接合という意味を持つ。
ちなみに、FF8では月に行くと、月が実は人工物だというシーンになる。「月面は太陽からの放射能と熱で着陸不可」と頑なに信じ続ける人は、魔導師になる素質ゼロと言える。
漫画ブリーチでも、自分の魂(ハートチャクラ)を変化させて仮面にする。闇に染まるとホロウ(画像の左)となるのだ。
仮面を使いこなすとヴァイザード(画像の右)となり、語源はウィザード(Wizard:魔導師)じゃないのかな? 言語によっては、読み方はヴァイザードになるはずだ。コスプレグッズの値段も全然違う(笑)
この段落はゲームやアニメの話ではなく魔導師としての話。ずっと同じペルソナを降臨させ続けると、そのペルソナそのものになってしまう。一体化と呼ばれる状態になるのだ。例えば、悪魔のようなペルソナを降臨させ続けると悪魔になってしまうのだ。一般には悪魔に憑依されると言うが、実際には全ては自分で創り出しているという考え方もできる。神懸かるという言葉もあるが、神が降臨しているとそう見える。そして、神が去ると相手は凡人でしかないのだ。
いずれにしても、女神異聞録やFF8、ブリーチを作ったクリエーターは、魔導師としてペルソナやガーディアンの理論を元に作品を作っている。魔道の知識が導入されるの対象は、ストーリーだけではないのだ。
才能の開花と枯渇の話になり、実は人間には才能なんて存在しない。ペルソナを出現させる事で才能が開花し、ペルソナが外れる事で枯渇となる。特にブログとかシナリオを書いている筆者だから分かるが、本来自分ができるはずの無い事をペルソナの出現(守護霊の降臨)によって実現している。ペルソナを身に付けていれば多少は自己能力も上がってゆくが、去ってしまうと、今までできていたシナリオ描きが突然できなくなる。ブログ書きも同様だ。魔導師ではなく、一般の人でも同じ状況・法則となる。そして、魔導師になれば才能の根源を意識できるようになり、才能の開花や枯渇の理由も把握できるようになる。
大御所のクリエーターが「(頑張っているのに有名になれない人よりも)才能があったわけでも、努力したわけでもない」みたいに語る事がある。要するに、スピリットを降臨させて自分の身体を使ってやってもらっていただけなので、本人はほとんど何もできないという状況には変わりないというわけだ。もっと、露骨な言い方をするならば、魔法結社でペルソナの出現方法とかスピリットの降臨方法を教わったから有名人になれただけというわけだ。
読者がある程度の規模となる企業のサラリーマンだとして、自分の会社の社長は何やら精神的に立派に思えるだろうか? そういうのも結局は魔法結社でペルソナのテクニックを教わっているからであって、従業員にテクニックを伝えない事でオーラの違いを見せつけているというわけだ。
さて、準備中の記事に「魔法少女まどか☆マギガ」がある。オタク系のアニメだが、以前の記事にあるよう中企業社長のオッサン達が持てはやすような魔道の物語と判断して、全話を見る事にしたのだ。後日記事にするが、オタクだから価値の無い話だと、ゆめゆめ思わないようにしてもらいたい。当記事だって、女神異聞録やFF、ブリーチに収まる話ではないのだから。筆者は以前の記事を書いたにもかかわらず、ブログの読者からコメントを貰うまでは調査すらする気が起きなかった。しかし、見て良かったとは思っている。
ほい、この手のアニメだから、合わない人は次の記事を読むのに1クッション必要なのだ。


もし、以前の「魔法少女まどか☆マギガ」の記事を読んでいない人がいたら、今の内に読んで貰いたい。準備が無いと受け入れにくいかも知れないので。全12話(約5時間)なので、全編を見てしまってもいいかな。
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ファイナルファンタジーの月物語
魔法入門は多くの魔導師が最初の内に読む事になる本。初期でなくても、必ず認識できるような本だ。もし、この本を読まないとすれば、多分魔導師にはなれない。他の魔道書を手にしても、多くの場合に必読図書として指定される。ちなみに、2冊の本は同じ内容だが、訳が異なる。読むのは一方で良いし、読んだら次の人に渡るよう売りに出しても良い。魔導師の数を最小限に留めるために、絶盤となっているのだ。
様々なペルソナを出現させる事で、自分の本来持っている能力にプラスしたりできる。人間の能力を項目化するとして、体力、理力、自信、知性、創造性、根気、洞察力、感情(の出現度合い)がペルソナによって変動するわけだ。主体として宿るスピリット(守護霊・ガーディアン)もペルソナによって変わってくる。
筆者の場合、あるペルソナではブログで巫女のように語れるが、シナリオライターとしては全く役に立たず、何日も仕事が手に付かない。一方で、巫女のペルソナを弱めると、創造性豊かなペルソナが出現してシナリオを描けるが、ブログではアホっぽくなったり、感情的になるのような具合だ。正直、巫女のペルソナは世間の常識と照らし合わせれば合理的ではない。ブログなんて書いてるとシナリオの収入が入りにくくなるのだ(爆) シナリオの仕事では、ブログ数記事と同じ時間で書けば数万円とかになるのに、ブログでは1ヶ月(記事を20~25くらい)で広告収入5000円とかそんな話なんで^^; もちろん、巫女の場合には、異次元の領域に「徳」という魂の貯金がたくさん入るんだけどね。
ゲーマーならば女神異聞録ペルソナというゲームを知っているだろう。降臨させるペルソナによって、攻撃力や魔力などが変化し、必殺技も変わる。合わないペルソナは、最初から付ける事ができなかったり、付けても全く役に立たない。
ゲームのプレイは若者でないと無理なので、コミックで読んだ方が良いだろう。
ゲームで同じようなシステムとして、ファイルファンタジー8のジャンクション・システムが存在する。ジャンクションした召喚獣により成長が異なってくる。ジャンクションとは接合という意味を持つ。
ちなみに、FF8では月に行くと、月が実は人工物だというシーンになる。「月面は太陽からの放射能と熱で着陸不可」と頑なに信じ続ける人は、魔導師になる素質ゼロと言える。
漫画ブリーチでも、自分の魂(ハートチャクラ)を変化させて仮面にする。闇に染まるとホロウ(画像の左)となるのだ。
仮面を使いこなすとヴァイザード(画像の右)となり、語源はウィザード(Wizard:魔導師)じゃないのかな? 言語によっては、読み方はヴァイザードになるはずだ。コスプレグッズの値段も全然違う(笑)
この段落はゲームやアニメの話ではなく魔導師としての話。ずっと同じペルソナを降臨させ続けると、そのペルソナそのものになってしまう。一体化と呼ばれる状態になるのだ。例えば、悪魔のようなペルソナを降臨させ続けると悪魔になってしまうのだ。一般には悪魔に憑依されると言うが、実際には全ては自分で創り出しているという考え方もできる。神懸かるという言葉もあるが、神が降臨しているとそう見える。そして、神が去ると相手は凡人でしかないのだ。
いずれにしても、女神異聞録やFF8、ブリーチを作ったクリエーターは、魔導師としてペルソナやガーディアンの理論を元に作品を作っている。魔道の知識が導入されるの対象は、ストーリーだけではないのだ。
才能の開花と枯渇の話になり、実は人間には才能なんて存在しない。ペルソナを出現させる事で才能が開花し、ペルソナが外れる事で枯渇となる。特にブログとかシナリオを書いている筆者だから分かるが、本来自分ができるはずの無い事をペルソナの出現(守護霊の降臨)によって実現している。ペルソナを身に付けていれば多少は自己能力も上がってゆくが、去ってしまうと、今までできていたシナリオ描きが突然できなくなる。ブログ書きも同様だ。魔導師ではなく、一般の人でも同じ状況・法則となる。そして、魔導師になれば才能の根源を意識できるようになり、才能の開花や枯渇の理由も把握できるようになる。
大御所のクリエーターが「(頑張っているのに有名になれない人よりも)才能があったわけでも、努力したわけでもない」みたいに語る事がある。要するに、スピリットを降臨させて自分の身体を使ってやってもらっていただけなので、本人はほとんど何もできないという状況には変わりないというわけだ。もっと、露骨な言い方をするならば、魔法結社でペルソナの出現方法とかスピリットの降臨方法を教わったから有名人になれただけというわけだ。
読者がある程度の規模となる企業のサラリーマンだとして、自分の会社の社長は何やら精神的に立派に思えるだろうか? そういうのも結局は魔法結社でペルソナのテクニックを教わっているからであって、従業員にテクニックを伝えない事でオーラの違いを見せつけているというわけだ。
さて、準備中の記事に「魔法少女まどか☆マギガ」がある。オタク系のアニメだが、以前の記事にあるよう中企業社長のオッサン達が持てはやすような魔道の物語と判断して、全話を見る事にしたのだ。後日記事にするが、オタクだから価値の無い話だと、ゆめゆめ思わないようにしてもらいたい。当記事だって、女神異聞録やFF、ブリーチに収まる話ではないのだから。筆者は以前の記事を書いたにもかかわらず、ブログの読者からコメントを貰うまでは調査すらする気が起きなかった。しかし、見て良かったとは思っている。
ほい、この手のアニメだから、合わない人は次の記事を読むのに1クッション必要なのだ。
もし、以前の「魔法少女まどか☆マギガ」の記事を読んでいない人がいたら、今の内に読んで貰いたい。準備が無いと受け入れにくいかも知れないので。全12話(約5時間)なので、全編を見てしまってもいいかな。
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