人生って本当に面白いの?~魔法があれば面白い
多くの大衆は、オカルトな分野の知識を持たず、学業や就職活動、サラリーマンとしての労働などで上手くゆかない事を嘆きながら人生を終える。あんまり面白くなさそうだ。

そんな人生をカバーしようと宗教に入るも、実態はお金を巻き上げられるだけで、よしんば教祖などが霊能力者であっても、信者が霊能力を得られるわけでもなく、単に信者からあらゆるパワーを巻き上げるためだけに霊能力は利用される。宗教やっても楽しくなさそうだ。
以上のような者達を「凡グループ」と呼ぶ事にする。基本的には常識を信じているので、医療を信じて病気にさせられたり、化学添加物や遺伝子組み換えを平気で口にする。当然、廃人とか病人が無数に存在する。パチンコやアルコールなどの中毒者になる事もあり得よう。何をもって負けというのか分からんが、圧倒的にこのグループから発生する。
人間には目に見えない領域があり、チャクラを開けば新たな人生が開ける事を確信する人間もいる。色々な方法で潜在意識やチャクラを開発しようと試みるのだ。しかし、そんな人達とは別に、知識はあるのか無いのか、実践しているのかしていないのか、全く能力が開発されていない人間に限って「その道を究めるのは難しいのでお奨めしない」「エゴを持ったままで半端な能力を開発しても破滅する」のようなコメントを吐く。このような事を言う人間が実は身近にいるのだが、資産はゼロ、無職、親に食わせて貰っている、容姿に無頓着、ギャンブル狂で、風俗好き……という状態だ。借金は無いし、人格など、他の要素ではマトモな方だが、栄光に向けて走りたい人間に対し、足を引っ張るような話はマジでうざい。筆者がサラリーマンを辞めフリーになった時に「なかなか軌道に乗らないんじゃないの?」とまで言うのだ。パソコンが使えないので、パソコンやネットでどのように稼ぐか、全く想定できないが故の台詞だ。潜在意識のコントロールやチャクラの開発が無ければ、どうせ最初に述べたようにつまらん人生なのだ。余計なお世話なんだよ。ちなみに、筆者に仕事の方はガンガン来る。単に怠けているので収入が少ないだけだ(爆)
ホリエモンなど、ある時には失敗してしまったとしても、一度、オカルトの扉を開いた者ならば、挽回のチャンスが無いわけではない。パチンコやアルコールなどの中毒者になる事は考えにくい。廃人になる人がいないとは言わないが、割合としては凡グループからの方が高い。
そもそも術に失敗すると人というのは、元々、駄目な人がチャクラ開発とかにチャレンジした場合であって、チャレンジしなくてもやっぱり駄目な奴だったのだ。にしても術を最低限使いこなすまでに身に着けた知識などで、駄目度合いは相当に軽減される。受験などに始まり、負け癖の付いている人が術にチャレンジしても潜在意識の中は負ける事しか頭に無いので、そりゃ怖いだろう。
世の中には、程々の有名人になり、人よりも断然稼いでいるが、人格的には別に大した事は無いような人間がほとんどではないか。エゴを捨てているとは到底思えない人間が、それなりに幅を効かせていたりする。チャクラ開発などを目指す人の、あたかも多くの人間が失敗するかのような主張は実に低劣だ! まるで、小説家や画家、作曲家、スポーツ選手を目指す人間に「お前には才能が無い(だからサラリーマン奴隷になれ)」と言うのと同じなのだ。そういう台詞を言う人間に限って、オカルトの秘術を使わずして人生に失敗している。大学受験をミスったとか、資格試験に全然受からないとか、どんどん給料が下がるだけの転職を繰り返しているとか、結婚できずに中年になっているとか、離婚をしているとかね。チャクラなどの潜在パワーを使わずして、ある程度の人生を歩むつもりだとしたら、結局は努力する事になる。そういう奴に限って、一発逆転の資格を狙っていたりするのだ。だから、フリーになったり、魔術などで素晴らしい道へ進もうとする者が妬ましくて仕方が無いのだ。術を使いこなせる自分が想定できないから、術が怖くて仕方が無く、多くの人間が失敗すると思い込む事で心の安定を図るのだ。うんちくを語ったつもりだったり、諭す振りをしながら、実態として相手に不安を植え付け、人のチャレンジにケチを付ける人間は最悪といえる。
エゴが無い奴は努力をしない。また「エゴを捨てないと秘術は得られない」と言う奴も(自分からエゴを消せないと分かっているので)秘術を得る事に対して努力をしない。大体、人がチャクラ開発に臨む状況を注目する時点でおかしな話だ。自分の人生で精一杯なはずだから、要するに誰かが失敗するのを望んでいるとしか解釈できない。自分が術に失敗して、後続者に警告のアドバイスするならば話は分かる。でも、「術者が駄目になる」と語る人の論調を見るに、自分は全く術にチャレンジしていないのだ。怖くて一歩も踏み出せないのが一目瞭然。そして、術を失敗した者を嘲笑うかのように、安全圏にいる自分を正当化する。その安全圏とやらが、不本意な学歴だったり、無収入だったり、栄光職からの失業だったり、負けの状態なのだ。それなりに起業の知識を持ちつつも一度も起業していない人間が、フリーターの立場で人の起業の失敗を待っているかのような下劣さと言える。起業にチャレンジし失敗した人は「だけど学ぶ事は多かった。もう一度チャレンジしたい。」のような傾向にある。他人に対して、「君には無理だ、やらない方がいい」とは言うまい。もちろん、起業に成功した人は「君にもできる。やってみる事が大切だ」と言うはずだ。
誰の名言だったか忘れたが、
「君にはできない」なんて言葉に耳を貸してはいけない。その人達の人生を見たまえ。誰も成功していないではないか。偉そうに君にアドバイスできる立場ではないのだよ。
のような言葉がある。筆者の文章になってしまっているので、筆者の名言という事でもいい(笑)
成功者(術のマスター者)は「君もできるはずだ、やってみろ」と言う。導師がいきなり「お前には無理だ、近付くな」なんて言うはずが無いのだ。
人生のバッターボックスに立ったら、見送りの三振だけはするなよ。小林繁(野球選手)
見送りの三振というのは、バットを振るわけでもなく、投手にストライクを3回決められてしまう事。もちろん、アウト。空振りでもいいし、ファール(後ろとか横っちょにボールが飛んでいく)でもいいし、打ち上げてキャッチされアウトでも、打った球が即行で相手にキャッチされアウトでもいいから、バットを振る事が大切なのだ。時には既に塁に出ている人を巻き込んでしまう事もあるだろうが、巻き込まれる巻き込まれないは、その人の人生だ。自分に責任があるわけではない。ホームランで他の人諸共ホームへ戻れる可能性を絶ってはならない。
人生が終わってしまうことを恐れてはいけません。 人生がいつまでも始まらない事が怖いのです。グレース・ハンセン(作家)
人間が本来持つチャクラのパワーに気付く事がスタート地点。多くの人はスタートに立てないまま、チャクラも脳もほとんど使わず死んでゆく。あまりに哀しい存在なのだ。
成功者の中に術を使えない者はいない。つまり、なんらかの術(凡人が認識していない事)を実施したから成功したのだ。この事実に相当に抵抗する人がいて「あの人は努力したんだ」とか語るが、誰も成功者が努力してないとは言わない。自分の行動が成功に結びつくと確信したから、人からは努力に見える行為を実施できたのだ。その知恵と感覚を術と呼ぶのだ。
失敗してもいいじゃないか。チャレンジしないで恐怖に怯え、死ぬ間際に何もできなかった事を後悔するよりは。そういう意味で、魔術でもヨガでも瞑想でも密教呪術でも仙道でもヘミシンクでもパワースポット巡りでも夢日記(明晰夢)でも、なんでもいいから、あなたの持つ本来のパワーを感じて欲しいのだ。ある態度のエゴは大切だ。せっかく秘術を身に着けたのに、自分の願いが1つも無いのでは宝の持ち腐れだ。自分の望みを叶えられない者は、他人の望みも叶えられない。例えば、単純に大金を手にしたいという浅ましい願いであっても、自分がその大金を得ない限り、「お金に困らない彼・彼女をゲットしたい」「資金力のあるビジネスパートナーが欲しい」「画家を目指しているのでスポンサーが欲しい」のような他人の願いを叶える事はできないのだ。いずれにしても、このグループには負けという状況は存在しにくい。死んだとしても、使命が終わったという事に過ぎないのだから。
「人間は神の分身で、全ては神である自分が創り出しているんだ」ってのが真理なんだと思う人もいるだろうが、その思想だけでは片手落ちだ。「人間はビッグバンで生まれた分子に過ぎない」と語るくらい、人生には役に立てられない。むしろ、当記事は「人間は神の分身だから、自分の現実をコントロールできるようになる事がスタート地点」という話で、この補足で両手を満たす事ができる。
魔法というのは真実の知識の事だ。別に願い事をしたり、スピリットを召喚する事だけではない。魔法について何も分かっていない人だと、「このブログには、スピリットを呼び出す呪文の1つも無い」とか思うだろうが、実はほぼ全ての記事が「真を見抜く」というスタンスで作られており、それこそが魔法なのだ。一般的に魔法と思われる行為をやっている人ならば、真を見抜く記事こそが魔法書のページに等しい事に気づいているはずだ。そう、実は当ブログを読む事という状況は、魔法の書物を読む事に等しかったのだ。
支配層は大衆を魔法には近付けさせたくないので、古来よりネガキャンが行われている状況の末路が魔法に対する偏見と言えよう。筆者の魔術は、実は解呪の魔術。偽りを信じさせられていた呪いを解くというわけだ。

そんな人生をカバーしようと宗教に入るも、実態はお金を巻き上げられるだけで、よしんば教祖などが霊能力者であっても、信者が霊能力を得られるわけでもなく、単に信者からあらゆるパワーを巻き上げるためだけに霊能力は利用される。宗教やっても楽しくなさそうだ。
以上のような者達を「凡グループ」と呼ぶ事にする。基本的には常識を信じているので、医療を信じて病気にさせられたり、化学添加物や遺伝子組み換えを平気で口にする。当然、廃人とか病人が無数に存在する。パチンコやアルコールなどの中毒者になる事もあり得よう。何をもって負けというのか分からんが、圧倒的にこのグループから発生する。
人間には目に見えない領域があり、チャクラを開けば新たな人生が開ける事を確信する人間もいる。色々な方法で潜在意識やチャクラを開発しようと試みるのだ。しかし、そんな人達とは別に、知識はあるのか無いのか、実践しているのかしていないのか、全く能力が開発されていない人間に限って「その道を究めるのは難しいのでお奨めしない」「エゴを持ったままで半端な能力を開発しても破滅する」のようなコメントを吐く。このような事を言う人間が実は身近にいるのだが、資産はゼロ、無職、親に食わせて貰っている、容姿に無頓着、ギャンブル狂で、風俗好き……という状態だ。借金は無いし、人格など、他の要素ではマトモな方だが、栄光に向けて走りたい人間に対し、足を引っ張るような話はマジでうざい。筆者がサラリーマンを辞めフリーになった時に「なかなか軌道に乗らないんじゃないの?」とまで言うのだ。パソコンが使えないので、パソコンやネットでどのように稼ぐか、全く想定できないが故の台詞だ。潜在意識のコントロールやチャクラの開発が無ければ、どうせ最初に述べたようにつまらん人生なのだ。余計なお世話なんだよ。ちなみに、筆者に仕事の方はガンガン来る。単に怠けているので収入が少ないだけだ(爆)
ホリエモンなど、ある時には失敗してしまったとしても、一度、オカルトの扉を開いた者ならば、挽回のチャンスが無いわけではない。パチンコやアルコールなどの中毒者になる事は考えにくい。廃人になる人がいないとは言わないが、割合としては凡グループからの方が高い。
そもそも術に失敗すると人というのは、元々、駄目な人がチャクラ開発とかにチャレンジした場合であって、チャレンジしなくてもやっぱり駄目な奴だったのだ。にしても術を最低限使いこなすまでに身に着けた知識などで、駄目度合いは相当に軽減される。受験などに始まり、負け癖の付いている人が術にチャレンジしても潜在意識の中は負ける事しか頭に無いので、そりゃ怖いだろう。
世の中には、程々の有名人になり、人よりも断然稼いでいるが、人格的には別に大した事は無いような人間がほとんどではないか。エゴを捨てているとは到底思えない人間が、それなりに幅を効かせていたりする。チャクラ開発などを目指す人の、あたかも多くの人間が失敗するかのような主張は実に低劣だ! まるで、小説家や画家、作曲家、スポーツ選手を目指す人間に「お前には才能が無い(だからサラリーマン奴隷になれ)」と言うのと同じなのだ。そういう台詞を言う人間に限って、オカルトの秘術を使わずして人生に失敗している。大学受験をミスったとか、資格試験に全然受からないとか、どんどん給料が下がるだけの転職を繰り返しているとか、結婚できずに中年になっているとか、離婚をしているとかね。チャクラなどの潜在パワーを使わずして、ある程度の人生を歩むつもりだとしたら、結局は努力する事になる。そういう奴に限って、一発逆転の資格を狙っていたりするのだ。だから、フリーになったり、魔術などで素晴らしい道へ進もうとする者が妬ましくて仕方が無いのだ。術を使いこなせる自分が想定できないから、術が怖くて仕方が無く、多くの人間が失敗すると思い込む事で心の安定を図るのだ。うんちくを語ったつもりだったり、諭す振りをしながら、実態として相手に不安を植え付け、人のチャレンジにケチを付ける人間は最悪といえる。
エゴが無い奴は努力をしない。また「エゴを捨てないと秘術は得られない」と言う奴も(自分からエゴを消せないと分かっているので)秘術を得る事に対して努力をしない。大体、人がチャクラ開発に臨む状況を注目する時点でおかしな話だ。自分の人生で精一杯なはずだから、要するに誰かが失敗するのを望んでいるとしか解釈できない。自分が術に失敗して、後続者に警告のアドバイスするならば話は分かる。でも、「術者が駄目になる」と語る人の論調を見るに、自分は全く術にチャレンジしていないのだ。怖くて一歩も踏み出せないのが一目瞭然。そして、術を失敗した者を嘲笑うかのように、安全圏にいる自分を正当化する。その安全圏とやらが、不本意な学歴だったり、無収入だったり、栄光職からの失業だったり、負けの状態なのだ。それなりに起業の知識を持ちつつも一度も起業していない人間が、フリーターの立場で人の起業の失敗を待っているかのような下劣さと言える。起業にチャレンジし失敗した人は「だけど学ぶ事は多かった。もう一度チャレンジしたい。」のような傾向にある。他人に対して、「君には無理だ、やらない方がいい」とは言うまい。もちろん、起業に成功した人は「君にもできる。やってみる事が大切だ」と言うはずだ。
誰の名言だったか忘れたが、
「君にはできない」なんて言葉に耳を貸してはいけない。その人達の人生を見たまえ。誰も成功していないではないか。偉そうに君にアドバイスできる立場ではないのだよ。
のような言葉がある。筆者の文章になってしまっているので、筆者の名言という事でもいい(笑)
成功者(術のマスター者)は「君もできるはずだ、やってみろ」と言う。導師がいきなり「お前には無理だ、近付くな」なんて言うはずが無いのだ。
人生のバッターボックスに立ったら、見送りの三振だけはするなよ。小林繁(野球選手)
見送りの三振というのは、バットを振るわけでもなく、投手にストライクを3回決められてしまう事。もちろん、アウト。空振りでもいいし、ファール(後ろとか横っちょにボールが飛んでいく)でもいいし、打ち上げてキャッチされアウトでも、打った球が即行で相手にキャッチされアウトでもいいから、バットを振る事が大切なのだ。時には既に塁に出ている人を巻き込んでしまう事もあるだろうが、巻き込まれる巻き込まれないは、その人の人生だ。自分に責任があるわけではない。ホームランで他の人諸共ホームへ戻れる可能性を絶ってはならない。
人生が終わってしまうことを恐れてはいけません。 人生がいつまでも始まらない事が怖いのです。グレース・ハンセン(作家)
人間が本来持つチャクラのパワーに気付く事がスタート地点。多くの人はスタートに立てないまま、チャクラも脳もほとんど使わず死んでゆく。あまりに哀しい存在なのだ。
成功者の中に術を使えない者はいない。つまり、なんらかの術(凡人が認識していない事)を実施したから成功したのだ。この事実に相当に抵抗する人がいて「あの人は努力したんだ」とか語るが、誰も成功者が努力してないとは言わない。自分の行動が成功に結びつくと確信したから、人からは努力に見える行為を実施できたのだ。その知恵と感覚を術と呼ぶのだ。
失敗してもいいじゃないか。チャレンジしないで恐怖に怯え、死ぬ間際に何もできなかった事を後悔するよりは。そういう意味で、魔術でもヨガでも瞑想でも密教呪術でも仙道でもヘミシンクでもパワースポット巡りでも夢日記(明晰夢)でも、なんでもいいから、あなたの持つ本来のパワーを感じて欲しいのだ。ある態度のエゴは大切だ。せっかく秘術を身に着けたのに、自分の願いが1つも無いのでは宝の持ち腐れだ。自分の望みを叶えられない者は、他人の望みも叶えられない。例えば、単純に大金を手にしたいという浅ましい願いであっても、自分がその大金を得ない限り、「お金に困らない彼・彼女をゲットしたい」「資金力のあるビジネスパートナーが欲しい」「画家を目指しているのでスポンサーが欲しい」のような他人の願いを叶える事はできないのだ。いずれにしても、このグループには負けという状況は存在しにくい。死んだとしても、使命が終わったという事に過ぎないのだから。
「人間は神の分身で、全ては神である自分が創り出しているんだ」ってのが真理なんだと思う人もいるだろうが、その思想だけでは片手落ちだ。「人間はビッグバンで生まれた分子に過ぎない」と語るくらい、人生には役に立てられない。むしろ、当記事は「人間は神の分身だから、自分の現実をコントロールできるようになる事がスタート地点」という話で、この補足で両手を満たす事ができる。
魔法というのは真実の知識の事だ。別に願い事をしたり、スピリットを召喚する事だけではない。魔法について何も分かっていない人だと、「このブログには、スピリットを呼び出す呪文の1つも無い」とか思うだろうが、実はほぼ全ての記事が「真を見抜く」というスタンスで作られており、それこそが魔法なのだ。一般的に魔法と思われる行為をやっている人ならば、真を見抜く記事こそが魔法書のページに等しい事に気づいているはずだ。そう、実は当ブログを読む事という状況は、魔法の書物を読む事に等しかったのだ。
支配層は大衆を魔法には近付けさせたくないので、古来よりネガキャンが行われている状況の末路が魔法に対する偏見と言えよう。筆者の魔術は、実は解呪の魔術。偽りを信じさせられていた呪いを解くというわけだ。
- 関連記事
-
- ベンジャミン、ケッシュ~信じたい物を真と思わせる心理操作=魔術
- 夢日記~エレベーターの意味
- 人生って本当に面白いの?~魔法があれば面白い
- お客さんと弟子の違い~能力開発セミナーや心霊科学協会
- 新品よりも高く中古を売る魔法がある?!